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2024年05月25日(土) 22時00分 bysoo_cyan
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しんじゅういん
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宝治年間(1247~1249)後深草天皇の帰依を受けて、現在地より少し西南に「真宗院(浄土の真宗)」の寺号を賜り、円空上人が建立した。 円空上人は、法然上人の直弟子証空上人(西山派の祖)に教えを師事し、遠望される西山の夕日が、日想観に至高の場としてこの土地を選んだ。ここを根本道場に、のち誓願寺の住持となって宗義を弘めた。 北朝で持明院統の祖である後深草天皇は、ここの法華堂に遺骨を安置(十二帝陵の最初)されたと伝わる。しかし、応仁の乱で衰微、江戸期に再興される。 本堂は大正期に焼失のち再建。真宗院山に創建者の円空上人廟がある。その参道西側の墓地に「日観亭跡」の石碑がある。また山脇東洋一族の墓がある。東洋は宝暦四年(1754年)京都所司代の許可を得て死刑囚の腑分けに立会い、観察記録を行った。そして宝暦九年(1759年)に解剖記録「蔵志」に著した。 その横に墓がある父・法眼玄心(はるなか)は後水尾天皇の主治医で相談相手でもあった。また、天明の義民一揆、伏見の住人文殊九助らが、江戸幕府への直訴をこの寺で会合し、決定したところでもある。
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阿弥陀如来
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根本山
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真宗院
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宝治年間(1247~1249年)
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円空立信上人
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西山国師遺跡霊場第11番
