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ほんざんほんがんじ|真宗大谷本願寺派

本山本願寺(跡地)の編集履歴
2024年10月20日(日)
京都府 中書島駅

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soo_cyan
2024年10月20日 22時51分

宗派

真宗大谷本願寺派

ご由緒

明治維新後、東本願寺宗門は御崇敬の対象である本山東本願寺と、それを包括する法人である真宗大谷派によって構成されていました。しかしながら、昭和62年(1987)に真宗大谷派は闡如上人が住職をつとめる東本願寺を、法的に解散消滅させ、寺院でも本山でもない単なる礼拝施設である「真宗本廟」としてしまったのでした(昭和の法難)。これによって、全国にいる浄土真宗門徒にとっての心の帰依処である本山東本願寺は消滅し、真宗大谷派は東本願寺宗門とは全く異なる宗教団体(末寺の組合組織)になり果て、東本願寺第21世法主厳如上人の悲願だった東本願寺の原点ともいえる「勧学布教・学事の振興」という大切な役目が変節させられたのでした。
この事態に、誰よりも大きく心を痛められたのは、後に經如上人として東本願寺第25世法主を継承される闡如上人の御次男である大谷暢順台下であります。
昭和の法難の最中、暢順台下の兄君にあたる大谷光紹台下は、闡如上人のお呼びかけにこたえて東本願寺東京別院を真宗大谷派から離脱させ、同じく離脱した東本願寺末寺と共に、浄土真宗東本願寺派をおこされました。一方、暢順台下は「教如上人が創立された東本願寺宗門を復活させなければ、親鸞聖人から連綿と受け継がれた本願念仏の御教えが、法統が潰えてしまう」というお考えを示され、大谷派によって消滅してしまった宗教法人本願寺を京都の地で復活させるべく、孤軍奮闘されるのでした。
蓮如上人500回御遠忌を目前にひかえた平成8年(1996)、暢順台下は真宗大谷派を離脱され、東本願寺の法統護持のために、東本願寺の礎となる寺基を、かつての烏丸六条の地(現真宗本廟)から、大谷家ゆかりの御山である六条山へと移されました。そして同11年(1999)、一度は消滅してしまった宗教法人本願寺(東本願寺)は、ついに京都伏見の地で復興を遂げたのでした。
                -東本願寺 眞無量院HPより-

見所

現在本山本願寺の寺基は京都府京都市山科区上花山旭山町に、寺務所も下京区木津屋橋通新町東入東塩小路町へと移っておりこちらはその役目を終えられているようです。

Wikipedia

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