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2025年08月29日(金) 19時23分 bysoo_cyan
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いちおんいん
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慶長5年(1600)日海上人(三好吉房、木下弥助)が子息の菩提を弔うために、妻・日秀尼の支援も得て建立。日秀尼は豊臣秀吉の姉・ともであり、吉房との間に三人の子をもうけるが、長男・秀次を筆頭に次男・秀勝(朝鮮出兵中に病死。享年24)、三男秀保(秀長の養子になるも病気療養中に事故死。享年17)ともに早世。吉房は秀次事件に連座して四国に配流、秀吉没後に赦免され、京に戻る。本圀寺山内に一音院を建立、子供たちの追善・読経三昧の余生を送る。吉房は晩年法華行者になり、慶長17年(1612)下野国(栃木県)足利で没した。妙恵会総墓所の墓所がある。 寺領は智光院の東隣であったが堀川署の拡張に伴い現在地へ移転。
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大光山
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一音院
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慶長5年(1600年)
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日海上人(三好吉房・木下弥助)