こうえんじ
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光縁寺ではいただけません
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光縁寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年09月03日(日)
参拝:2015年6月吉日
歩いて光縁寺へ。山南敬助総長をはじめとする新撰組隊士らと、沖田総司の縁者(一説には姉)の墓。梅田に墓のある大阪新撰組を率いていた7番隊長・谷三十郎もこちらに分骨されていたりする。
この寺が新撰組と関わりがあるのは、屯所のあった前川家や八木家から近いこともさることながら、寺の瓦に刻まれていた「丸に右離れ三つ葉立葵」が、偶然山南家と同じ家紋であったことが大きい。これが縁で山南と当時の住職との間に交流が生まれ、屯所で亡くなった隊士が埋葬されることになったという。山南自身も前川家にて沖田総司の介錯で切腹し、この寺に埋葬されている。寺務所に、そのいわれのある瓦と、埋葬されている隊士の一覧表があった。
埋葬されている隊士らは山南をはじめ20名余。かつては御陵衛士となった隊士らの墓もあったそうだが、現在は別の場所へ移されている。また、隊士の墓石は、今より北側の、現在の京福電鉄架線にあったもののうち、いくつかをこちらに移築したものだそうで、遺骸は掘り起こされず現在も線路の下にあるという。また沖田の縁者とされているのは、山南の恋人で、前川家での格子戸の別れで有名な明里のものだという説もある。
この寺が新撰組と関わりがあるのは、屯所のあった前川家や八木家から近いこともさることながら、寺の瓦に刻まれていた「丸に右離れ三つ葉立葵」が、偶然山南家と同じ家紋であったことが大きい。これが縁で山南と当時の住職との間に交流が生まれ、屯所で亡くなった隊士が埋葬されることになったという。山南自身も前川家にて沖田総司の介錯で切腹し、この寺に埋葬されている。寺務所に、そのいわれのある瓦と、埋葬されている隊士の一覧表があった。
埋葬されている隊士らは山南をはじめ20名余。かつては御陵衛士となった隊士らの墓もあったそうだが、現在は別の場所へ移されている。また、隊士の墓石は、今より北側の、現在の京福電鉄架線にあったもののうち、いくつかをこちらに移築したものだそうで、遺骸は掘り起こされず現在も線路の下にあるという。また沖田の縁者とされているのは、山南の恋人で、前川家での格子戸の別れで有名な明里のものだという説もある。
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