じょうとくいん|浄土宗|荘厳山
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浄篤院の編集履歴
2024年09月30日 01時46分
ご由緒
浄篤院は慶長9年(1604年)北野天満宮の南800mの地、鳳瑞町に誾助(ぎんじょ)上人によって創建されました。その後徳川家譜代の家臣である安藤対馬守(つしまのかみ)の帰依を得て、伽藍が拡張され寺門は繁栄しました。天明の大火(1788年)により寺勢は著しく衰微しましたが、昭和63年(1988年)には長年の悲願であった本堂が再建されました。その後、阿弥陀三尊永代供養墓の造立、檀信徒会館の改装、墓地の拡張、ペット供養墓の建立など伽藍の整備が進められています。
江戸時代の書物『都名所図絵』によると、当山の本尊である阿弥陀如来像は比叡山延暦寺第3世 慈覚大師円仁の作で、源義経公の念持仏であったと伝えられています。義経公がたびたび戦勝祈願の護摩焚きをしたため、その煤(すす)で黒いお姿になったとされています。
URL
http://www15.plala.or.jp/jotokuin/index.html
院号
浄篤院
創立
1604年(慶長9年)
創始者/開山・開基
誾助(ぎんじょ)上人
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