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しんせんえん|東寺真言宗

神泉苑の御由緒・歴史
京都府 二条城前駅

ご本尊聖観世音菩薩
創建時代天長元年(824)
開山・開基弘法大師
ご由緒

延暦十三年(794)桓武天皇が平安京を造営する際、宮中の附属庭園として造られ、常に清泉が湧き出すことから「神泉苑」と名付けられた。
境域は南北四町東西二町に及び、苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿も設けられた。歴代の天皇が行幸され、宴遊、相撲、賦詩などの行事を行い、弘仁三年(812)嵯峨天皇は日本で初めての桜の花見の詩宴を催した。
弘法大師空海は、天長元年(824)日本中の昇天の際、勅命により善女龍王を勧請し祈雨の法を修した。以降、神泉苑は名僧が競って請雨法を行う霊場となった。
貞観五年(863)には初めて神泉苑で御霊会が執行され、それが後に祇園祭の発祥となった。
当苑の法成就池が「御池通」の由来にもなり、また、五位鶯の名称や静御前の祈雨の舞、小野小町の歌など多くの由緒を持つ。
現在は国指定の史跡であり当寺真言宗の寺院である。

歴史
歴史[編集] 当地は延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。もともとはここにあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられ、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園であった。 史料に初めてその名が見られるのは『日本紀略』の記事であり、延暦19年7月19日(800年8月12日)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。また、『日本...Wikipediaで続きを読む
引用元情報神泉苑」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%B3%89%E8%8B%91&oldid=91077356

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