やさかじんじゃごくうしゃ(またたびしゃ)
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楽しみ方八坂神社御供社(又旅社)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月03日(水) 22時08分12秒
参拝:2025年8月吉日
京都市堀川通り散策。堀川三条より徒歩3分。京都三条会商店街の一角にある八坂神社の境外末社、八坂神社 又旅社に参拝。3つある八坂神社の御旅所(境外社)の1つ。毎年7月24日の祇園祭還幸祭には、三基の御神輿をここにお迎えします。
建立年:寛政元年(1789)
ご祭神:
素戔嗚尊
櫛稲田姫命
八柱御子神
〇列見の辻
又旅社(御供社)の鎮座する三条大宮の地は、古く平安時代より、祭りの行列を点検する場所を意味する「列見の辻」と呼ばれていました。都の北側を巡る少将井(櫛稲田姫命)神輿と南側を巡る大政所(素戔嗚尊)神輿並びに八王子(八柱御子神)神輿が合流する地でもあります。
現在でもその伝統に則り、祇園祭の還幸祭に三基の神輿を迎え、神饌を御供えをします。御供社・御供町の名はこれに由来するといわれています。
〇祇園祭の起源
貞観11年(869年)、当時の律令制度の国の数である66本の鉾を作り、「神泉苑」の南端(現在の八坂神社御供社)に鉾を立てて「祇園社(現在の八坂神社)」から三基の神輿を出して行列する御霊会が開かれました。これが現在の祇園祭の原形だそうです。後に「神泉苑」の東南端の地に社が置かれ、これが「御供社」になりました。
江戸時代初期に「徳川家康」が「二条城」を築城した時に「神泉苑」は大幅に縮小されましたが、建物も行事も大切に継承されてきました。「御供社」は明治39年(1906年)に「八坂神社」の末社となり現在に至ります。
建立年:寛政元年(1789)
ご祭神:
素戔嗚尊
櫛稲田姫命
八柱御子神
〇列見の辻
又旅社(御供社)の鎮座する三条大宮の地は、古く平安時代より、祭りの行列を点検する場所を意味する「列見の辻」と呼ばれていました。都の北側を巡る少将井(櫛稲田姫命)神輿と南側を巡る大政所(素戔嗚尊)神輿並びに八王子(八柱御子神)神輿が合流する地でもあります。
現在でもその伝統に則り、祇園祭の還幸祭に三基の神輿を迎え、神饌を御供えをします。御供社・御供町の名はこれに由来するといわれています。
〇祇園祭の起源
貞観11年(869年)、当時の律令制度の国の数である66本の鉾を作り、「神泉苑」の南端(現在の八坂神社御供社)に鉾を立てて「祇園社(現在の八坂神社)」から三基の神輿を出して行列する御霊会が開かれました。これが現在の祇園祭の原形だそうです。後に「神泉苑」の東南端の地に社が置かれ、これが「御供社」になりました。
江戸時代初期に「徳川家康」が「二条城」を築城した時に「神泉苑」は大幅に縮小されましたが、建物も行事も大切に継承されてきました。「御供社」は明治39年(1906年)に「八坂神社」の末社となり現在に至ります。
すてき
投稿者のプロフィール

金兎562投稿
娘が始めたのをきっかけに私も2023年からはじめました。 京都に帰郷した際に天龍寺で手書きの御朱印をいただき、とても感動したのがきっかけです。 京都には沢山の神社仏閣があり生活の中で触れあってき...もっと読む
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