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しもごりょうじんじゃ

下御霊神社の御由緒・歴史
京都府 神宮丸太町駅

ご祭神《主》吉備霊,崇道天皇,伊予親王,藤原大夫人,藤大夫,橘大夫,文大夫,火雷天神,《配》霊元天皇
創建時代貞観5年(863年)
ご由緒

社伝によれば、大同2年(809)不運のうちに亡くなった伊予(いよ)親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子(ふじわらのよしこ)の霊をなだめるために、承和6年(839)に創建されたといわれている。祭神は、後に、崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)、吉備真備(きびのまきび)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)、火雷天神(からいてんじん)を加えて八所御霊としている。

 当初、出雲路(上京区)にあり、御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、以後、社地を転々とし、天正18年(1590)豊臣秀吉の都市整備により当地に移転してきた。古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間(1716~36)霊元天皇は当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている。

 本殿は、寛政3年(1791)仮皇居の内侍所を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれている。

 境内の垂加(すいか)社には、江戸時代の国学者、山崎闇斎(やまざきあんさい)を祀る。

歴史の写真一覧

下御霊神社の歴史
歴史
革堂の前にお参り。
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革堂の前にお参り。
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革堂の前にお参り。
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革堂の前にお参り。
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革堂の前にお参り。
下御霊神社の歴史
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【下御霊神社】 初めての参拝。いつも近くまで来ていても、先を急いだり体力不足でなかなか参拝する機…
下御霊神社の歴史
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英語版の解説には「無実の罪などで非業の死をとげた」が「died in unfortunate circumstances 不幸な境遇でなくなった」と言い換えられています。 これだと事故に巻き込まれて亡くなったようにも受け取れてしまうので、「そもそも怨霊(revengeful spirit)になる理由がわからんやん!」とツッコミをいれてしまいました・・・。 あと「産土神」は tutelary deity となっていましたが、これは「守護神」という意味の言葉のようです。勉強になりました!
下御霊神社の歴史
歴史
とても素敵な門は御所からの移築のようです。静かで落ち着き素敵な神社です。
下御霊神社の歴史
歴史
とても素敵な門は御所からの移築のようです。静かで落ち着き素敵な神社です。
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とても素敵な門は御所からの移築のようです。静かで落ち着き素敵な神社です。
下御霊神社の歴史
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過去の参拝記録。2017年11月4日参拝。 革堂(行願寺)のあと参拝。
下御霊神社の歴史
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革堂さんから北に上がった所にあります。 境内に御霊水が沸いているようで水を汲みに来られてる方もい…
下御霊神社の歴史
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革堂さんから北に上がった所にあります。 境内に御霊水が沸いているようで水を汲みに来られてる方もい…
下御霊神社の歴史
歴史
京都都七福のご参拝を兼ねて近隣寺社をお参りしました。 元は上御霊神社の南に鎮座されていたようです。
下御霊神社の歴史
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京都都七福のご参拝を兼ねて近隣寺社をお参りしました。 元は上御霊神社の南に鎮座されていたようです。

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