えんとくいん
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圓徳院ではいただけません
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圓徳院のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年10月01日(火)
参拝:2024年8月吉日
清水寺にお参りした帰り 落ち着いた雰囲気を味わいたいと 圓徳院にお参りしました。
投稿するのは2回目かな。でも何回かお参りしています。
豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られます。
一説にはその終焉の地ともいわれています。
こちら圓徳院さんの北書院と北庭が大好きなんです。
北庭は国指定の名勝であり 桃山時代の枯山水庭園の典型的なお庭です。
ほんと 畳に腰を下ろしゆったりお庭を見ていると 心がすうっと落ち着きます。
宗旨宗派は臨済宗建仁寺派 寺格は高台寺塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は寛永9年(1632年) 開山は三江紹益です。
由緒については
豊臣秀吉の没後 正室の北政所は 慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると 秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。
家康と高台院は 現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると 慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて 新たな寺院・高台寺を建立し その境内を整えていった。
その際 高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし 同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自らの邸宅・高台院屋敷とした。
翌慶長11年(1606年)に高台寺は完成している。
高台院は没するまでの19年間を高台院屋敷と高台寺で過ごすと 寛永元年(1624年)9月6日に屋敷で亡くなった。
寛永9年(1632年) 高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められた。
以降は木下家の菩提寺となった。
とありました。
投稿するのは2回目かな。でも何回かお参りしています。
豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られます。
一説にはその終焉の地ともいわれています。
こちら圓徳院さんの北書院と北庭が大好きなんです。
北庭は国指定の名勝であり 桃山時代の枯山水庭園の典型的なお庭です。
ほんと 畳に腰を下ろしゆったりお庭を見ていると 心がすうっと落ち着きます。
宗旨宗派は臨済宗建仁寺派 寺格は高台寺塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は寛永9年(1632年) 開山は三江紹益です。
由緒については
豊臣秀吉の没後 正室の北政所は 慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると 秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。
家康と高台院は 現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると 慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて 新たな寺院・高台寺を建立し その境内を整えていった。
その際 高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし 同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自らの邸宅・高台院屋敷とした。
翌慶長11年(1606年)に高台寺は完成している。
高台院は没するまでの19年間を高台院屋敷と高台寺で過ごすと 寛永元年(1624年)9月6日に屋敷で亡くなった。
寛永9年(1632年) 高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められた。
以降は木下家の菩提寺となった。
とありました。
すてき
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くるくるきよせん2030投稿
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