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2025年09月12日(金) 18時55分 bysoo_cyan
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崇徳上皇(第75代)は、平安時代の末、保元の乱(西暦1156年)により讃岐の国へ御配流の悲運に遭われた。上皇は血書をもって京都への御還幸を願われたが、意の如くならず憤怒の御姿のまま長寛2年(1164年)夏、46歳にて崩御。 五色台白峰山の御陵に奉葬された。 上皇の寵愛篤かった阿波内侍は、御遺髪を請い受けてこの場所に一塚を築き、亡き上皇の霊をお慰めしたと伝承されている。 その頃の京都では、上皇の怨念による祟りの異変が相次いで発生したため、御影堂や粟田宮を建てて慰霊に努めたが、永い年月の間に廃絶して、此の所のみが哀史を偲ぶよすがとなっている。 なお孝明・明治両天皇の聖慮により、白峯神宮が創建され、元官幣大社として尊崇され今日に至っている。
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京都市バス「東山安井」下車徒歩3分
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自由
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なし
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なし
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なし
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長寛2年(1164)頃
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阿波内侍
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9月21日 崇徳天皇祭 毎月21日 月次祭(9月は22日)
