びょうどうじ(いなばどう)
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
平等寺(因幡堂)ではいただけません
広告
平等寺(因幡堂)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月06日(土)
参拝:2023年4月吉日
京都市内の寺院巡りの4寺目は、3寺目と同じく下京区に在る福聚山 平等寺です。通称は因幡薬師。境内の観音堂は洛陽三十三所観音霊場 第27番札所。
烏丸五条と四条烏丸の中間に在ります。(どうでもいい話ですが、何故、烏丸の位置が四条と五条で変わるの?)
真言宗智山派で、本尊は薬師如来。
この本尊・薬師如来立像は重文で、釈迦如来立像と如意輪観音坐像も重文です。
西念寺と同様に以前から気になっていた寺院で、今回「令和5年度 春期京都非公開文化財特別公開」で拝観出来るため伺いました。(令和3年度に公開予定で伺う積りでしたが、コロナ禍により中止になりました。)
959年に因幡国司・橘行平が因幡賀留津の海中より薬師仏を引き上げ、仮堂に安置した。京都に戻った橘行平は、1003年に私邸の一部を改修し、(因幡国より飛来してきたという)薬師仏を安置して因幡堂と呼んだと伝わる。1171年に高倉天皇の勅命により「平等寺」と命名された。
寺院北側(裏側)にあるコインパーキングに停めました。本堂前で京都古文化保存協会のスタッフの方が受付されており、拝観料(1,000円)をお支払いしました。拝観ルートは、収蔵庫→観音堂→因幡薬師伝承館で、本堂は含まれておらずやや残念。(過去には本堂内陣も拝観コース内の時があった。)
収蔵庫は本堂右側にあり(写真を撮り忘れました。)、本尊・薬師如来立像と釈迦如来立像と如意輪観音坐像の3躯が安置してありました(通常は非公開)。本尊・薬師如来立像は、高さ約162cm、一木造、平安時代の仏師・康尚作という。頭巾が被せてあり、何か云われがあるのかと思っていましたが、頭巾は厨子上部と仏像の頭の間を固定し保護するためで、火災などで本像を避難させる際は、厨子を閉じて後方へ倒し、厨子の背面にはコロが付けてあり、厨子を牽いて移動可能としてあります。それだけ過去に火災が多かったという事だと思います。
釈迦如来立像は、高さ約77cm、鎌倉時代前期の1213年作、清凉寺式の釈迦如来立像。
如意輪観音坐像は、高さ約81cm、鎌倉時代の作。表情はクールで、腕は細めの造り。
本堂左側の角に観音堂。拝観コースになっていますが堂内に入れる訳ではなく堂外から。少し扉が開けられていました。(通常は扉が閉まっている?) 洛陽三十三所観音霊場の札所で、札所本尊は十一面観音坐像で、真ん中の厨子に2躯安置されていました。他には弘法大師坐像、如意輪観音像、不動明王坐像、役行者像が安置されていましたが、ちょっと遠くてあまりわからず。(毎月8日の手作り市の際の10時半から護摩焚きが行われるため拝観可との事。)
観音堂の右側には、歓喜天、地蔵堂、十九所権現(十九社明神)。拝観コースの因幡薬師伝承館は一旦、本堂の裏側から出てすぐ右手にあります。寺宝の絵巻、仏像等が展示されていました。(度重なる火災により古い物は相当焼失していると思われ、江戸時代以降の物が主。)
最後に本堂へ行きました。本堂中央の須弥壇の厨子は閉まっていて、厨子の前に祀られているのは本尊のお前立です。左右の脇壇に不動明王等の仏像がありましたが今回は内陣には入れませんでした。最後に御朱印を頂きました。
烏丸五条と四条烏丸の中間に在ります。(どうでもいい話ですが、何故、烏丸の位置が四条と五条で変わるの?)
真言宗智山派で、本尊は薬師如来。
この本尊・薬師如来立像は重文で、釈迦如来立像と如意輪観音坐像も重文です。
西念寺と同様に以前から気になっていた寺院で、今回「令和5年度 春期京都非公開文化財特別公開」で拝観出来るため伺いました。(令和3年度に公開予定で伺う積りでしたが、コロナ禍により中止になりました。)
959年に因幡国司・橘行平が因幡賀留津の海中より薬師仏を引き上げ、仮堂に安置した。京都に戻った橘行平は、1003年に私邸の一部を改修し、(因幡国より飛来してきたという)薬師仏を安置して因幡堂と呼んだと伝わる。1171年に高倉天皇の勅命により「平等寺」と命名された。
寺院北側(裏側)にあるコインパーキングに停めました。本堂前で京都古文化保存協会のスタッフの方が受付されており、拝観料(1,000円)をお支払いしました。拝観ルートは、収蔵庫→観音堂→因幡薬師伝承館で、本堂は含まれておらずやや残念。(過去には本堂内陣も拝観コース内の時があった。)
収蔵庫は本堂右側にあり(写真を撮り忘れました。)、本尊・薬師如来立像と釈迦如来立像と如意輪観音坐像の3躯が安置してありました(通常は非公開)。本尊・薬師如来立像は、高さ約162cm、一木造、平安時代の仏師・康尚作という。頭巾が被せてあり、何か云われがあるのかと思っていましたが、頭巾は厨子上部と仏像の頭の間を固定し保護するためで、火災などで本像を避難させる際は、厨子を閉じて後方へ倒し、厨子の背面にはコロが付けてあり、厨子を牽いて移動可能としてあります。それだけ過去に火災が多かったという事だと思います。
釈迦如来立像は、高さ約77cm、鎌倉時代前期の1213年作、清凉寺式の釈迦如来立像。
如意輪観音坐像は、高さ約81cm、鎌倉時代の作。表情はクールで、腕は細めの造り。
本堂左側の角に観音堂。拝観コースになっていますが堂内に入れる訳ではなく堂外から。少し扉が開けられていました。(通常は扉が閉まっている?) 洛陽三十三所観音霊場の札所で、札所本尊は十一面観音坐像で、真ん中の厨子に2躯安置されていました。他には弘法大師坐像、如意輪観音像、不動明王坐像、役行者像が安置されていましたが、ちょっと遠くてあまりわからず。(毎月8日の手作り市の際の10時半から護摩焚きが行われるため拝観可との事。)
観音堂の右側には、歓喜天、地蔵堂、十九所権現(十九社明神)。拝観コースの因幡薬師伝承館は一旦、本堂の裏側から出てすぐ右手にあります。寺宝の絵巻、仏像等が展示されていました。(度重なる火災により古い物は相当焼失していると思われ、江戸時代以降の物が主。)
最後に本堂へ行きました。本堂中央の須弥壇の厨子は閉まっていて、厨子の前に祀られているのは本尊のお前立です。左右の脇壇に不動明王等の仏像がありましたが今回は内陣には入れませんでした。最後に御朱印を頂きました。
御朱印(書置き)
春期京都非公開文化財特別公開チラシから
烏丸通から。正面は因幡薬師伝承館。
南門
本堂
本尊・薬師如来立像(ネットから転載)
仏像保護のための頭巾を被った薬師如来
如意輪観音坐像
観音堂
歓喜天
地蔵堂
十九所権現(十九社明神)
すてき
投稿者のプロフィール
nomuten977投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。