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西念寺ではいただけません
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西念寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月06日(土)
参拝:2023年4月吉日
京都市内の寺院巡りの3寺目は、2寺目の東山区から西へ行った隣の下京区の五条通沿いの河原町五条と烏丸五条の中間地点に在る報國山 西念寺です。(失礼ながらパッと見は何処に寺院があるのかわからない。事前にgoogleMAPで下調べしておいて良かった。)この辺りの五条通の南側には多数の寺院があります。
浄土派西山禅林寺派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は市指定文化財で、所蔵の仏涅槃図は重文です。
以前から気になっていた寺院で、ご住職が在宅ならば拝観出来るらしいのですが、今回「令和5年度 春期京都非公開文化財特別公開」で拝観出来るため伺いました。
平安時代の源融(822-895年)の邸宅河原院の跡とされ、正徳年間(1711-16年)に月空珠心が西念寺を創建、東本願寺の学寮だった。その後、現在地に移転させられたり、廃仏毀釈により寺領を没収されたり、五条通拡幅工事により寺領は殆ど減ってしまい、現在に至るそうです。
近くのコインパーキングに停めました。山門は無く、鳥居です。鳥居をくぐると千喜満悦天満宮。天満宮なので祭神は菅原道真。その先に本堂玄関。玄関に入ると京都古文化保存協会のスタッフの方が受付されており、拝観料(1,000円)をお支払いして、御朱印も頂きました。(拝観料1,000円は正直高い気がしますが、後世のための文化財保護に使って頂けるのならばと。)
本尊・阿弥陀如来坐像は、有難い事に須弥壇の厨子から出されて、横も後も観れるようになっていました。高さ約60cm、玉眼、白毫は八角形、鎌倉時代の作で、作風から慶派仏師・運慶の長男の湛慶作ではないかという研究者の意見がありますが確証は取れておりません。印相は事例の多くない説法印。丁寧に彫られたバランスの取れた綺麗な仏像でした。
また、仏涅槃図は、室町時代の作と伝えられてきましたが、2009年に行われた調査により、平安時代後期作と判明。平安時代の仏涅槃図は、高野山の金剛峯寺所蔵など数例しか現存しておらず(江戸時代作のものが大半)、4年の歳月を掛けて修復が行われ、今回修復後初公開との事でした。
浄土派西山禅林寺派で、本尊は阿弥陀如来。
この本尊・阿弥陀如来坐像は市指定文化財で、所蔵の仏涅槃図は重文です。
以前から気になっていた寺院で、ご住職が在宅ならば拝観出来るらしいのですが、今回「令和5年度 春期京都非公開文化財特別公開」で拝観出来るため伺いました。
平安時代の源融(822-895年)の邸宅河原院の跡とされ、正徳年間(1711-16年)に月空珠心が西念寺を創建、東本願寺の学寮だった。その後、現在地に移転させられたり、廃仏毀釈により寺領を没収されたり、五条通拡幅工事により寺領は殆ど減ってしまい、現在に至るそうです。
近くのコインパーキングに停めました。山門は無く、鳥居です。鳥居をくぐると千喜満悦天満宮。天満宮なので祭神は菅原道真。その先に本堂玄関。玄関に入ると京都古文化保存協会のスタッフの方が受付されており、拝観料(1,000円)をお支払いして、御朱印も頂きました。(拝観料1,000円は正直高い気がしますが、後世のための文化財保護に使って頂けるのならばと。)
本尊・阿弥陀如来坐像は、有難い事に須弥壇の厨子から出されて、横も後も観れるようになっていました。高さ約60cm、玉眼、白毫は八角形、鎌倉時代の作で、作風から慶派仏師・運慶の長男の湛慶作ではないかという研究者の意見がありますが確証は取れておりません。印相は事例の多くない説法印。丁寧に彫られたバランスの取れた綺麗な仏像でした。
また、仏涅槃図は、室町時代の作と伝えられてきましたが、2009年に行われた調査により、平安時代後期作と判明。平安時代の仏涅槃図は、高野山の金剛峯寺所蔵など数例しか現存しておらず(江戸時代作のものが大半)、4年の歳月を掛けて修復が行われ、今回修復後初公開との事でした。
すてき
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nomuten970投稿
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