ちょうこうじ|浄土宗|常照山
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長香寺の編集履歴
2022年10月22日 22時17分
緯度
34.99842068593025
編集前:34.9984292
経度
135.7618939641122
編集前:135.7618829
ふりがな
ちょうこうじ
ご由緒
1606年、徳川家康の御側女中・於古知也(おこちゃ)の本願により創建が始まる。(寺伝)
1607年、開基の於古知也が亡くなり、一時、建立工事が中止になる。
1608年、慶長年間(1596-1615)とも、建立が再開された。信誉称阿(しんよしょうあ)を開山として創建された。寺号は於古知也の法号「長香院殿信誉常照清円大禅定尼」に因む。京都所司代・板倉勝重により寺地の指定を受ける。境内の選定、伽藍造営に大工頭・中井正清、初代金座・後藤庄三郎など幕府の役職が関わる。東西52間、南北29間(1508坪)の境内があり、本堂(9間4間)、書院、庫裏が建てられた。(「蓮門精舎旧詞」、長香寺文書「長香寺建立由来書写」)
3代・中井正知の時、中井家の菩提寺となる。(長香寺文書「長香寺建立由来書写」)
後、中井利清の女・浄円院(じょうえんいん、1655-1726)は8代将軍・徳川吉宗を生み、以後、幕府の援助を得た。
元和-寛永年間(1612-1644)、塔頭の嘆正院、宝樹院が建てられる。
元禄年間(1688-1704)、鎮守社・福増稲荷が勧請された。
1726年、将軍家の外祖父の菩提所であったことから、幕府より祠堂金500両を下賜される。
1788年、天明の大火により焼失する。
1864年、元治の大火により焼失した。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
アクセス
地下鉄烏丸線「五条」駅下車、徒歩5分
御朱印
あり
山号
常照山
文化財
重要文化財 絹本着色観空経十六観変相図
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