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2024年12月08日(日) 01時55分 bysoo_cyan
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浄土宗西山深草派
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妙心寺は寛正2年(1461年)11月に亡くなった松平(徳川家康の祖。家康は九代目)三代目信光の嫡男備中守親則の菩提を弔うため、愛知県岡崎の松平家本城岩津城内に松平家によって建立された寺である。 三代目松平信光は嫡男のあまりに早い死を嘆き剃髪しそのころ京都の浄土宗深草派の総本山円福寺に住していた松平二代目泰親の長男教然良頓上人を開山に招き阿弥陀如来像を京都の仏師に彫らせ本尊とし親則の戒名にある院号妙心院殿をとり寺号を妙心寺とした。本尊の胎内には信光の肉髪と願文妙心寺本尊仏像記も納められている。 幕末の頃幾たびの戦火により深草派総本山円福寺は本尊什物十三間九間半の本堂並びに結構な伽藍共々すべて消失して再興ならず寺域の荒廃により円福寺の北隣で円福寺と同規模の蛸薬師堂永福寺のお前立薬師三尊を本尊として伽藍の整った愛知県岡崎の中本山妙心寺に持ち出して寺号交換が行われ円福寺と称し、又蛸薬師堂永福寺の境内に仮本堂を建てて妙心寺の御本尊を安置して法性山無量寿院妙心寺妬合する。 こうして岡崎松平本家ゆかりの寺が京都の街中に移された。
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法性山
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無量寿院
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1461年(寛正2年)
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松平信光/教然良頓上人
