たねじ|真言宗東寺派|医王山
多禰寺のお参りの記録一覧
その後、海上自衛隊の港湾施設を左手に見ながら走り、山を登っていくと多禰寺様が見えてきます。
多禰寺様は真言宗東寺派の御寺様です。
聖徳太子の弟の麻呂子親王が父である用命天皇からの命で賊を討った時に、七仏薬師の御加護があったとして、その御加護に報いるために丹後に七つのお寺を建立しました。その内の一つ薬師瑠璃光如来をお祀りしたのが多禰寺様です。
多禰寺様は日本で3番目に大きい仁王像を所蔵されていたり文化財も多く、駐車場からの景観も舞鶴の町や海を一望出来たりと見所満載です。
あと、寺務所で販売されている梅干しが昔ながらの味でメチャお気に入りです(´▽`)
今回は京都府北部&福井県西部(中丹、嶺南が正式かも)の寺巡りです。
先ず1寺目は、京都府舞鶴市に在る醫王山 多禰寺(たねじ)です。
真言宗東寺派で、本尊は秘仏・薬師如来。
この薬師如来坐像は市指定文化財ですが、秘仏のため拝観出来ません。他には、金剛力士立像が重文、普賢菩薩騎象像が市指定文化財です。
奈良·京都の大寺院の様な観光寺院ではありませんが、西国四十九薬師霊場の1つであり、入山受付所がありますので拝観に際しての事前予約は必要ありませんが、念のために事前に確認してから伺いました。(自宅から約200km、着いたら拝観休止では洒落になりませんので。)
伝えによれば、580年代に聖徳太子の異母兄弟の麻呂子親王が父の用命天皇の命によりこの地方の豪族を平定、護持仏の薬師如来を本尊に創建。最盛時には七堂伽藍を有する七仏薬師霊場として栄えたが、やがて衰退するも薬師信仰により現在に至るとの事です。
名神高速→北陸道→舞鶴若狭道と乗り継ぎ、舞鶴東ICを下りて北方面の大浦半島の真ん中辺りを目指します。やがて人家はなくなり、つづら折りを上り、T字路を少し下ると20台位停めれる駐車場です。駐車場から道路を挟んだ南側は展望台になっていて、眼下に舞鶴港が見えます。聞いたら標高は約250mとの事でした。(冬は積雪で大変そう。)
いつも通りに山門から。参道を登って来る方が居ないのでしょう、恐らく参道を整備してないので危険なため入らない様にテープが張ってありました。お陰で距離が取れずに山門の写真がイマイチ。真ん中に梵鐘が付けられていますので鐘楼門?両脇には仁王像の写真パネルが置かれていました。(実物は宝物殿に安置)
少し進むと本堂が見えてきます。石段を上りきると左側に入山受付。入山料と宝物殿拝観料と御朱印代(計900円)を納めて、早速宝物殿へ案内頂きました。中に入ると正面両サイドに金剛力士阿形と吽形(重文)、大きいです。高さ約3.6m、国内3番目の大きさとの事。力強いですね。その間に右側から普賢菩薩騎象像(市指定)、不動明王立像、大日如来坐像、聖観音菩薩立像。両脇のガラスケースには五大明王や弥陀来迎図、小仏が6躯と鋳銅製孔雀文磬(市指定)。見応えがあります。
宝物殿を出て、次に本堂。内陣に入らせて頂きました。本尊の薬師如来は秘仏のため閉扉された厨子の中で観れません。厨子の両側に日光、月光菩薩、十二神将は盗難のため8神将。両脇は不動明王と多聞天。創建時の萩の丸柱が1本のみ残っているのは驚き。草みたいな萩の幹があんなに太くなるとは。
本堂を出て入山受付でお願いしておいた御朱印帳を受け取り、境内を少し廻って、次へ向かいました。
御朱印
展望台からの眺望
山門
山門から見た参道
(入れない様にテープが張ってあった)
庫裏
手水
弁天社
本堂
本堂内陣 奥から2本目の黒っぽい柱が唯一残る創建時の萩の丸柱
(ネットから転載)
宝物殿
金剛力士像 重文
(パンフレット撮影)
普賢菩薩騎象像 市指定文化財
(パンフレット撮影)
六地蔵
熊野権現、稲荷明神
観音堂
烏蒭沙摩殿=トイレ
萩
山の頂上付近にあるお寺です。道幅が狭いので注意して下さい。景色が良かったです😆コロナ緊急事態が解除になるまで、御朱印は書き置きです。見開きの書き置き御朱を頂きました😃
見開きの書き置き御朱印です。
景色が素晴らしい。奥が舞鶴湾です。
山門と鐘。
手水舎です。
御詠歌です。
本堂です。
地蔵堂。
事務所です。緊急事態宣言解除まで居ないようです。入山料100円が必要です。
庭園です。
御朱印があるのでお金入れて頂きました😃日付は記入してありません。
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