いわむろいなりじんじゃ
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岩室稲荷神社の編集履歴
2022年05月06日 16時10分
郵便番号
6250011
ご由緒
社伝に依れば、山を明室山と云ひ、社を元五藏社と称す、(丹後風土記)往昔天火明命、大国主命の命を奉じて、当国を平定し、地を此明室山に卜して、神籬を樹て、岩藏を造りて、神宝を奉安し、国家鎮護の祈願所として、田労王をして之を守らしめ給ふ。旧記に「岩藏、安神器壹藏安美保伎玉、貳藏安御神幣、参藏安久斯器、肆藏安御斯鈴、伍藏安療病全囲、故謂伍藏、今社名為五藏社之縁也」云々と見ゆ。降て享保年間、田労王の後裔、太郎太夫社地を奉献して、正一位岩窪稲荷五社大朋神と尊称す云々。又加佐郡旧語集に曰く「当社の岩窪に夫婦の白狐年を経て住みけるを、太郎太夫深く之を憐み、食物を與へしに、白狐朝旦家に来りて吉凶を告ぐ、夫より代々同家に馴れ愈々奇特を著はせし中にも.領主牧野侯が江戸へ参勤の砌りには、道中を守護せしとて、侯の信仰浅からず。又曾て江戸の牧野邸に於て、枚野侍従が時の将軍を招待して、庭相撲を御上覧に供した時、志楽五兵衛と名乗りて怪力を現はせしは、此白狐なりしと云々。之に依りて時人の崇敬頗る厚く、毎歳陰歴二月初午、同六月六日の例祭には、遠近より賽者雲集し、人を以て埋り頗る雑沓を呈す。
見所
正式名は「稲荷神社」であるが、他と区別するため、岩室稲荷神社・吉坂稲荷神社・岩窪稲荷神社など、さまざまな名で呼ばれることが多い。
稲荷山(明室山)の山裾に鎮座し、そこから裏山を5分ほど歩くと奥の院に至る。奥の院に隣接して「岩蔵」という石灰岩の群れが広がり、これをかつて伍蔵社と呼んだ。
奥宮には磐座あり
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