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2025年05月12日(月) 12時26分 bysoo_cyan

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名前
編集前
慈光寺
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慈光禅寺(慈光寺)
ふりがな
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じこうぜんじ(じこうじ)
ご由緒
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室町期の丹後府中を考えるうえで、一色氏の氏寺である普門山慈光寺の存在は欠かせない。慈光寺は一色氏で最初に丹後国守護に就任した満範(在職明徳三年〔一三九二〕~応永十六年)の法名を寺号に持ち、建立された時期は不明であるが、長禄三年の『丹後国惣田数帳』には加佐郡気多保に二町五反、与謝郡石河荘に一町四反、同郡稲富保に一町の寺領が設定されている。おそらく満範の没後しばらくして建立されたものであろう。慈光寺の住持は義直の父義貫が帰依した臨済宗夢窓派で南禅寺に瑞雲庵を開いた在中中淹の法系から選ばれており、義直在世当時の住持は在中の弟子、芳仲周騰だった。周騰はまた義直の子で禅僧となった季岳に教えを授けている(「季岳字説」〔『補庵京華続集』所収〕)。「天橋立図」で慈光寺は、五つの建物と堂舎、建物をつなぐ橋や土塀などが描かれ、守護一色氏の氏寺としての壮観を示している。なお、慈光寺は永正の兵火で焼失した後、西南の江尻の地に移されて今日に至っている。
                         -宮津市史より-
ご祭神/ご本尊
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観音菩薩
Introduction
御朱印
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true
山号
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普門山
創立
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明応年間(1492~1501)
創始者/開山・開基
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延永修理進
巡礼
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丹後与謝霊場第15番