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2025年05月12日(月) 19時06分 bysoo_cyan
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高野山真言宗
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橋立真言宗(単立)
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寺伝によれば704年(慶雲元年)、真応上人の開基で、文武天皇の勅願寺となったというが、中世以前の寺史は判然としない。2007年(平成19年)、高野山真言宗から独立し、真言宗単立寺院となった。 寺は天橋立を一望する成相山(569m)の山腹にあるが、創建時は山のさらに上方に位置し、修験の道場となっていた。現在地に移ったのは1400年(応永7年)の山崩れ以降である。山号は古くは「世野山」と称し、雪舟の『天橋立図』(京都国立博物館蔵、国宝)には、「世野山成相寺」の書き込みとともに当寺が描かれている。
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成相寺(なりあいじ)は日本三景天橋立を眼下に望む景勝地にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場で、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてまいりました。 慶雲元年(704)に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建したと伝えられ、本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩です。 境内には悲話を伝える「撞かずの鐘」、奇怪な話の「底なし池」、左甚五郎作の「真向の龍」などがあり、しゃくなげの名所でもあります。 車道もありますが、天橋立を眺めながらケーブルカーと登山バスを乗り継いでお参りされるのも楽しいでしょう。 西国札所最北端に位置し、冬は雪が深くなりますが成相寺から見る雪の天橋立も格別です。 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した僧は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に傷ついた鹿が倒れているのに気付きました。僧として肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。やがて雪も消え、里人達が登って来て堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていました。 それを知らされた僧は観音様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。
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第二駐車場近くにあり
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成相山・世屋山
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704年(慶雲元年)
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文武天皇/真応上人
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西國三十三所第28番札所
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重要文化財 ・絹本著色紅玻璃阿弥陀像 1幅 ・丹波国諸庄郷保総田数帳目録 ・鉄湯船 ・木造地蔵菩薩坐像
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