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2025年05月10日(土) 01時48分 bysoo_cyan
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ほんみょうじ
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寛永2年(1625)年4月、京極高広の室寿光院殿が日蓮宗に帰依し、養父の徳川秀忠の菩提のために、田辺(舞鶴市)妙法寺住持の日賢上人を請じて開山としたと伝えます。 昭和6年、災火により山門以外を焼失しました。鉄筋コンクリート造の現本堂は昭和49年に再建されたものです。 本堂裏の墓地には、万治2年銘(1659)の寿光院殿供養の五輪塔が建てられており、この丘陵からは宮津城下を一望することができます。他に宮津藩文政一揆で有名な栗原百助の墓碑があります。 焼失を免れた山門には京極家の家紋である「平四目結」がみられ、京極氏との関わりを物語っています。
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長久山
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1625年(寛永2年)
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寿光院殿(京極高広室)/日賢上人
