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だいちょうじ|浄土宗寳德山

大頂寺の御由緒・歴史
京都府 宮津駅

ご本尊阿弥陀如来
創建時代1606年(慶長11年)
開山・開基京極高知
ご由緒

京都というと、神社仏閣と町屋の続く京都市街を思い浮かべるが、北部の丹後地方は日本海に臨み、海の幸も豊かな数々の街が並んでいる。中でも宮津は日本三景のひとつ、天の橋立で名が知られると共に、丹後観光の拠点として多くの観光客が訪れる。歴史的には、丹後の国、宮津城の城下町として始まり、江戸時代には日本海を行き交う北前船の寄港地として栄えてきた。
そんな宮津の街を見おろす高台に大頂寺はある。慶長11年(1606)、藩主の京極高知が菩堤寺として建立したのに始まり、その子高廣が徳川秀忠・家光の供養のために宝筐印塔(ほうきょういんとう)を建て、また御霊屋(おたまや)を創立しその基礎を築いている。代々の城主によって徳川将軍の位牌がまつられた御霊屋は現在も本堂の側に現存し、家康からは6代家宣までがまつられている。
また、宝暦9年(1759)に城主として入った本庄氏が作った、本庄家の御霊屋も別棟に現存し、同家から出た桂昌院(徳川家光側室・綱吉生母)の念持仏や歴代の位牌が安置されている。この御霊屋の内部は切妻造りで間口約4・9メートル、奥行き10・9メートル、外陣、内陣、内々陣に分かれている。また、格天井、欄間などには優美な彫刻がほどこされて、各建具類は黒漆、金箔漆で仕上げられており、昭和60年より文化財に指定されている。
以来、火災などの被害を受けなかったために、寺宝も数多く残り、常設の宝物館には徳川綱吉直筆の書や江戸末期の法然上人絵伝掛軸、古文書、将軍家ゆかりの漆器、また明治4年に解体された宮津城関係の写真資料なども展示されている。拝観は日中の間で無料とのこと。
                 -浄土宗寺院紹介Naviより-

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