やまざきいんあと|法相宗
山崎院跡の編集履歴
宗派
法相宗
ご由緒
山崎院とは、奈良時代に東大寺の建立に尽力した高僧・行基が建てた寺院で、8世紀前半、行基が社会奉仕のために淀川に掛けた「山崎橋」の維持管理と、仏教の教えを広めるために、山崎の古寺を改修し道場としたとされています。
1989年にこの地から円盤系の銅地銀が出土し、不明だった山崎院の位置に進展がみられ、1999年の再調査で、彩色された壁画片約100点が出土、その中の12点に唐草文様を描いたとみられる壁画片が見つかりました。壁画片は山崎院の堂内がどのようなものであったのかを推定する貴重な資料となりました。
石標は、2006年に、全京都建設協同組合が創立50周年記念事業の一環として立てられ、行基年譜の表記に合わせて「山埼院跡」と彫られ山崎院の跡を示しています。
-山崎観光案内所HPより-
山崎院は、この橋のたもとに位置し、同じ場所からは、道昭が創建した飛鳥寺東南禅院の同笵瓦だけでなく、さらに古い形式の瓦が混在して見つかっている。こうしたことから、この地に道昭が関係して、既存寺院を改修した寺院を営んでいたとみられる。道昭は山崎院開設の30年前に没しているが、発掘調査している大山崎町教委の古閑正浩主幹は「山崎院以前の寺院に道昭が関わっていたのは明らか。行基はしばらく使われていなかった道昭の寺院を改修して、山崎院としたのでしょう」と話す
道昭も架橋のほか、井戸開発や港の整備など社会事業を行っていたことが知られる。古閑主幹は「行基は伝道と社会事業の一体的な行動を、道昭の事績から学び、山崎橋の再建と道昭の寺を整備した山崎院の開設に結びつけた」とする。
『年譜』によると、行基の社会事業は山崎橋の架橋以降に本格化。ため池開発や港湾建設などを展開する。行基の49院はその多くが、事業現場に近いところに開設されていた。
-産経新聞 歴史シアターより-
創立
731年(天平3年)
創始者/開山・開基
行基上人