のなかじんじゃ
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野中神社の編集履歴
2021年05月04日 08時34分
ご由緒
野中兼山死没後、寛文4年(1664)野中家は改易、遺族や従臣は、宿毛の山内左衛門に預けられ、罪人として監禁された。
蟄居生活40年、四人の男子が死亡後、三人の娘(寛、婉、将)と母、乳母たちは赦免となった。婉女と母、乳母の三人は、高知市朝倉の旧臣宅に寄偶し医を業として生計を立てた。
婉女は野中家断絶後、先祖の祭りが絶えるので、旧臣古槇氏をたより、現在地に土地を買い、一間四面の小堂を建立して、神牌を納め、宝永5年(1708)に祭典を営み、祭田五反を寄進して古槇氏に祭祀を依頼した。
社前の小祠には、兼山に仕えていた旧臣の霊を祀ってある。婉は享保10年(1725)12月、65歳の生涯を閉じた。同女の漢詩の短冊が神牌に納められ、現在このお堂には野中一族21柱と古槇次郎八の神牌が祀られている。
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