いわもとじ|真言宗智山派|藤井山(ふじいさん)
岩本寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
37番 岩本寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
37番 岩本寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
37番 岩本寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
37番 岩本寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
37番 岩本寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
37番 岩本寺
1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の3寺院目です。
Googleマップでは青龍寺から車で約1時間と出たのですが 実際は90分ほどかかりました。
GWで混んでいたのか ただ単純に遠かったのか 分かりません。
途中に海岸線を走る所もあったのですが ほぼほぼ山間を走っている感じでした。
四万十川沿いでは大きな町で 集落と言うと失礼だと思うぐらいの町にありました。
(四万十川はほぼ田畑の中を流れているイメージでした)
駐車場も複数あり お遍路さんための店もあります。
とても広いとは言えない境内ですが 見ごたえのある建物が多いです。
本堂 大師堂 開山堂 清流殿 宿坊も境内にあり 水天宮もあります。
ライトアップされているようで 竹に穴をあけたものが 仁王門前の階段にも 本堂前にも 設置されていました。
私がとても気に入ったのは 境内の奥が山になっているのですが 境内と山の間に鉄道が敷かれていて 参拝している時に電車 いや汽車かな が通ったことです。
都会の景色で電車が通っても何とも思わないのですが こちらの境内の雰囲気と汽車の通過する音は 何とも言えない風情を感じさせてくれました。
仁王門前の玉垣には ペギー葉山さんのお名前が。奉納されていたんですね。
山号は藤井山 院号は五智院 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は不動明王・聖観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩 創建年は(伝)天平年間(729年 – 749年) 開基は(伝)行基、聖武天皇(勅願)です。
ご真言(5つ)とご詠歌は
不動明王:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
聖観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来:おん あみりた ていせい から うん
薬師如来:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩:おん かかか びさんまえい そわか
ご詠歌:六(む)つのちり五(いつ)つの社(やしろ)あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ
でした。
由緒については
天平年間(729年 – 749年)に 聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。
仁井田明神のあったことから 当時は「仁井田七福」 別名「七福寺」とよばれた。
その後弘仁年間(810年 – 824年)に 空海(弘法大師)が五社・五寺からなる福円満寺を増築し 東から 東大宮が不動明王 今大神には清浄観音菩薩 中宮が阿弥陀如来 西大宮が薬師如来 聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し 星供の秘法を修したという。
こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え 別当寺の福円満寺が札所であった。
一方 岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊であった。
1652年から1688年の間に衰退した福円満寺から別当が移り 岩本寺と改称し 納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳された。
明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されたが 岩本寺は高知県の政策により明治4年(1871年)廃寺になる。
明治22年(1889年)岩本寺は復興して現在に至る。
とありました。
山門までの参道には お遍路さんのためのお店があります
仁王門
ライトアップ用
階段もライトアップされます
少し小さめですが とても立派です
扁額
千社札がたくさん
手水は龍でした
聖天堂
大師堂
扁額
これもライトアップ用
これも
開山堂
大師立像
清流殿
鐘楼
子育て観音
水かけ用 手水ではありません
本堂
こちらにも観音様
これ 何というのか よく見かける照明のようなもの
仏足跡
地蔵と石仏
水天宮
厄割玉
宿坊もありました
宿坊
納経所
五仏尊
ペギー葉山さんが奉納されたようです
土塀の瓦の上に これなに?
【藤井山(ふじいざん)五智院(ごちいん)岩本寺(いわもとじ)】
本尊:不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:行基菩薩
岩本寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願により、行基菩薩が七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神のそばに建立したと伝えられる福圓満寺(末寺七ヶ寺をもつ)が前身とされる。弘法大師(774-835)がこの寺を訪ねたのは弘仁年間(810 – 824)。 大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。 大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立。 このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。 再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。明治の神仏分離により仁井田五社と分離され五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一された。
【37_T.Hamada's view】
弘法大師像
【37_三度栗】
「岩本寺七不思議」の一つが「三度栗」の伝説。弘法大師の霊力で1年に3回も実るようになったと言われる栗の木。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【37_本堂】
【37_大師堂と聖天堂】
大師堂(左側)と聖天堂(右側手前)。上空で鳥が迎えてくれます。トンビ?
【37_仁王門】
【37_仁王阿形像】
【37_仁王吽形像】
【37_龍の手水舎】
【37_本堂内陣の格天井画】
1978(昭和53)年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。
【37_本堂内陣の格天井画】
9枚に描いた龍がいます。
【37_本堂内陣の格天井画】
マリリン・モンローはどこ。内陣に入ってすぐ上にいらっしゃいました。
【37_石柱門】
路地の奥にある山門(仁王門)をくぐって境内へ
【37_トゥクトゥク】
路地の途中に駐車。ポップなアートで愛(LOVE)を感じるお寺でした。
四国八十八ヶ所お遍路第37番札所、藤井山五智院岩本寺。聖武天皇勅願、七難即滅七福即生を祈念して行基菩薩が、7つの福寺を建立。後に弘法大師が五箇寺を建立し藤井山福圓満寺五徳智院とした。ご本尊は不動明王、聖観音、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩。
門前のアートなバス。
お寺の門。
本堂天井画は全国から応募されたものだそう。
三度栗。岩本寺弘法大師七不思議の年に7度花が咲き3度実をつける栗に🌰ちなんだ和菓子。
次への道すがら、飯テロ。四万十川のに違いないと信じて食べるうなぎ。ひつまぶし。
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