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いわもとじ|真言宗智山派藤井山(ふじいさん)

岩本寺の編集履歴
2020年07月05日(日)
高知県 窪川駅

さささんのプロフィール画像
ささ
2020年07月05日 15時52分

緯度

33.20814894625588

編集前:33.2082533

経度

133.1349295147499

編集前:133.1347659

ふりがな

いわもとじ

ご由緒

清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

ご祭神/ご本尊

不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩

アクセス

窪川駅下車 (0.7km)
36【青龍寺】より
(自家用車)約1時間30分 約50km
(徒歩)約16時間 約55.5km
38【金剛福寺】より
(自家用車)約2時間30分 約94km
(徒歩)約25時間 約86.5km

参拝時間

7:00~17:00

駐車場

境内右側 普通20台・大型4台(普通200円)

御朱印

あり

トイレ

仁王門の横

山号

藤井山(ふじいさん)

院号

五智院(ごちいん)

創立

天平年間(729~749)

創始者/開山・開基

行基菩薩

巡礼

四国八十八箇所第37番

行事

1月2日 新春特別祈祷
2月3日 節分会(星供養会)
3月20日~21日 弘法大師祭
4月8日 花まつり(仏生会)
6月初旬 四国遍路
8月13日~16日 盂蘭盆
11月初旬 四国遍路
12月18日 聖天祭
12月31日 除夜祭

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