いわもとじ
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岩本寺ではいただけません
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岩本寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月20日(月)
参拝:2024年5月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の3寺院目です。
Googleマップでは青龍寺から車で約1時間と出たのですが 実際は90分ほどかかりました。
GWで混んでいたのか ただ単純に遠かったのか 分かりません。
途中に海岸線を走る所もあったのですが ほぼほぼ山間を走っている感じでした。
四万十川沿いでは大きな町で 集落と言うと失礼だと思うぐらいの町にありました。
(四万十川はほぼ田畑の中を流れているイメージでした)
駐車場も複数あり お遍路さんための店もあります。
とても広いとは言えない境内ですが 見ごたえのある建物が多いです。
本堂 大師堂 開山堂 清流殿 宿坊も境内にあり 水天宮もあります。
ライトアップされているようで 竹に穴をあけたものが 仁王門前の階段にも 本堂前にも 設置されていました。
私がとても気に入ったのは 境内の奥が山になっているのですが 境内と山の間に鉄道が敷かれていて 参拝している時に電車 いや汽車かな が通ったことです。
都会の景色で電車が通っても何とも思わないのですが こちらの境内の雰囲気と汽車の通過する音は 何とも言えない風情を感じさせてくれました。
仁王門前の玉垣には ペギー葉山さんのお名前が。奉納されていたんですね。
山号は藤井山 院号は五智院 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は不動明王・聖観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩 創建年は(伝)天平年間(729年 – 749年) 開基は(伝)行基、聖武天皇(勅願)です。
ご真言(5つ)とご詠歌は
不動明王:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
聖観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来:おん あみりた ていせい から うん
薬師如来:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩:おん かかか びさんまえい そわか
ご詠歌:六(む)つのちり五(いつ)つの社(やしろ)あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ
でした。
由緒については
天平年間(729年 – 749年)に 聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。
仁井田明神のあったことから 当時は「仁井田七福」 別名「七福寺」とよばれた。
その後弘仁年間(810年 – 824年)に 空海(弘法大師)が五社・五寺からなる福円満寺を増築し 東から 東大宮が不動明王 今大神には清浄観音菩薩 中宮が阿弥陀如来 西大宮が薬師如来 聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し 星供の秘法を修したという。
こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え 別当寺の福円満寺が札所であった。
一方 岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊であった。
1652年から1688年の間に衰退した福円満寺から別当が移り 岩本寺と改称し 納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳された。
明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されたが 岩本寺は高知県の政策により明治4年(1871年)廃寺になる。
明治22年(1889年)岩本寺は復興して現在に至る。
とありました。
Googleマップでは青龍寺から車で約1時間と出たのですが 実際は90分ほどかかりました。
GWで混んでいたのか ただ単純に遠かったのか 分かりません。
途中に海岸線を走る所もあったのですが ほぼほぼ山間を走っている感じでした。
四万十川沿いでは大きな町で 集落と言うと失礼だと思うぐらいの町にありました。
(四万十川はほぼ田畑の中を流れているイメージでした)
駐車場も複数あり お遍路さんための店もあります。
とても広いとは言えない境内ですが 見ごたえのある建物が多いです。
本堂 大師堂 開山堂 清流殿 宿坊も境内にあり 水天宮もあります。
ライトアップされているようで 竹に穴をあけたものが 仁王門前の階段にも 本堂前にも 設置されていました。
私がとても気に入ったのは 境内の奥が山になっているのですが 境内と山の間に鉄道が敷かれていて 参拝している時に電車 いや汽車かな が通ったことです。
都会の景色で電車が通っても何とも思わないのですが こちらの境内の雰囲気と汽車の通過する音は 何とも言えない風情を感じさせてくれました。
仁王門前の玉垣には ペギー葉山さんのお名前が。奉納されていたんですね。
山号は藤井山 院号は五智院 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は不動明王・聖観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩 創建年は(伝)天平年間(729年 – 749年) 開基は(伝)行基、聖武天皇(勅願)です。
ご真言(5つ)とご詠歌は
不動明王:のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
聖観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか
阿弥陀如来:おん あみりた ていせい から うん
薬師如来:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
地蔵菩薩:おん かかか びさんまえい そわか
ご詠歌:六(む)つのちり五(いつ)つの社(やしろ)あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ
でした。
由緒については
天平年間(729年 – 749年)に 聖武天皇の勅命を受け行基が七難即滅・七福即生を祈念して開創したのが起源であるという。
仁井田明神のあったことから 当時は「仁井田七福」 別名「七福寺」とよばれた。
その後弘仁年間(810年 – 824年)に 空海(弘法大師)が五社・五寺からなる福円満寺を増築し 東から 東大宮が不動明王 今大神には清浄観音菩薩 中宮が阿弥陀如来 西大宮が薬師如来 聖宮が将軍地蔵菩薩とそれぞれ本尊を安置し 星供の秘法を修したという。
こうして「仁井田五社十二福寺」と称し嵯峨天皇の勅願所となり栄え 別当寺の福円満寺が札所であった。
一方 岩本寺は、町中にあり福円満寺から足摺へ向かう途中の宿坊であった。
1652年から1688年の間に衰退した福円満寺から別当が移り 岩本寺と改称し 納経は「五社大明神 別當岩本寺」と記帳された。
明治初期には神仏分離により仁井田五社の5つの仏像は岩本寺に移されたが 岩本寺は高知県の政策により明治4年(1871年)廃寺になる。
明治22年(1889年)岩本寺は復興して現在に至る。
とありました。
山門までの参道には お遍路さんのためのお店があります
仁王門
ライトアップ用
階段もライトアップされます
少し小さめですが とても立派です
扁額
千社札がたくさん
手水は龍でした
聖天堂
大師堂
扁額
これもライトアップ用
これも
開山堂
大師立像
清流殿
鐘楼
子育て観音
水かけ用 手水ではありません
本堂
こちらにも観音様
これ 何というのか よく見かける照明のようなもの
仏足跡
地蔵と石仏
水天宮
厄割玉
宿坊もありました
宿坊
納経所
五仏尊
ペギー葉山さんが奉納されたようです
土塀の瓦の上に これなに?
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2021投稿
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