みょうでんじ|日蓮宗|龍口山
妙典寺の編集履歴
ふりがな
みょうでんじ
編集前:みょうてんじ
ご由緒
< 妙典寺さま公式Webサイトから引用
_ https://www.myodenji.jp/about-temple/ >
.
龍口山妙典寺(りゅうこうざん みょうでんじ)は
延慶元年(1308)4月、中老僧 美濃阿闍梨天目上人によって開かれたお寺で、
鎌倉比企谷妙本寺の末寺です。
明治19年、「太政官布達」により片瀬・霊跡本山龍口寺に貫首制度が定められるまで、
片瀬八ヶ寺の一寺として龍口寺住職を輪番しておりました。
元和8年(1614)の「妙本寺客殿建立走舞真俗交名札銘」、
また延宝2年(1674)の徳川光圀著「鎌倉日記」などには片瀬妙伝寺と記されていたことから、
当初は妙伝寺と称していたようです。
谷の奥深くにあったことから、通称「腰越の谷戸寺」と呼ばれ、
堂内には本尊・諸尊の他に池上宗仲作の開山天目像をお祀りしております。
編集前:< 妙典寺さま公式Webサイトから引用
_ https://www.myodenji.jp/about-temple/ >
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龍口山妙典寺(りゅうこうざん みょうでんじ)は
延慶元年(1308)4月、中老僧 美濃阿闍梨天目上人によって開かれたお寺で、
鎌倉比企谷妙本寺の末寺です。
明治19年、「太政官布達」により片瀬・霊跡本山龍口寺に貫首制度が定められるまで、
片瀬八ヶ寺の一寺として龍口寺住職を輪番しておりました。
元和8年(1614)の「妙本寺客殿建立走舞真俗交名札銘」、
また延宝2年(1674)の徳川光圀著「鎌倉日記」などには片瀬妙伝寺と記されていたことから、
当初は妙伝寺と称していたようです。
谷の奥深くにあったことから、通称「腰越の谷戸寺」と呼ばれ、
堂内には本尊・諸尊の他に池上宗仲作の開山天目像をお祀りしております。
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