ようふくじ あと
永福寺跡(永福寺址)の編集履歴
緯度
35.32805621490117
編集前:35.3297193
経度
139.56776984177247
編集前:139.5712889
ご由緒
史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久五年(1194)に三堂が完成しています。鎌倉幕府の御願寺として手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。
山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートルが史跡に指定されています。昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。
伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、二階堂の前には橋が架けられていました。
鎌倉市役所Webサイトの「史跡永福寺跡の公開について」のページから、全文を引用。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html
編集前:史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、
源頼朝が建立した寺院の跡です。
源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、
平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久五年(1194)に三堂が完成しています。
鎌倉幕府の御願寺として手厚く保護されましたが、
応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。
山林に囲まれた東西約100m、南北約200mの平坦地が寺の中心域と考えられ、
その周囲の山林や谷戸も含め、約88,000平方メートルが史跡に指定されています。
昭和58年度から平成8年度まで発掘調査が行われ、
二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。
伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、
両側の堂からはL字型の廊が付属し、中門・釣殿がつくられていました。
こうした伽藍配置とその規模は他に例を見ないもので、
源頼朝の独創性を示すものとして注目されています。
東に向く堂の前には南北約200m、東西約40~70mの広大な苑池がつくられ、
二階堂の前には橋が架けられていました。
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鎌倉市役所Webサイトの「史跡永福寺跡の公開について」のページから、全文を引用。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html
見所
源頼朝は鎌倉に3つの大きな寺院を建立しました。
一つ目は鶴岡八幡宮(鶴岡八幡宮寺)、二つ目は勝長寿院、三つ目は永福寺。
現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまいました。
この地は周辺約9万平方メートルは源頼朝が建立した永福寺の跡で、国指定史跡に指定されています。
(参考:ホトカミ _ 勝長寿院跡https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/152671/)
鎌倉市二階堂 「瑞泉寺」手前の分岐路に在ります。 瑞泉寺へは直進。
右折して ’ 理智光寺橋 ’ を渡ると史跡碑「理智光寺跡」と宮内庁管理「後醍醐天皇皇子 護良親王墓所」が在ります。理智光寺橋 ’ 周辺は紅葉の時季が綺麗です。
(参考:ホトカミ _ 理智光寺跡
https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/149307/)
左折すると ’ 獅子舞 ’ 谷戸へ通じ、紅葉の時季が綺麗です。
ただし 私有地地区を通過させていただくので、鎌倉市はハイキングコースとしての紹介を控えているようですのでマナーを心得ての散策をお願いいたします。
編集前:源頼朝は鎌倉に3つの大きな寺院を建立しました。
一つ目は鶴岡八幡宮(鶴岡八幡宮寺)、二つ目は勝長寿院、三つ目は永福寺。
現在、残っているのは鶴岡八幡宮だけで後の2つは焼失してしまいました。
この地は周辺約9万平方メートルは源頼朝が建立した永福寺の跡で、国指定史跡に指定されています。
( 参考:ホトカミ _ 勝長寿院跡
https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/152671/ )
鎌倉市二階堂 「瑞泉寺」手前の分岐路に在ります。 瑞泉寺へは直進。
右折して ’ 理智光寺橋 ’ を渡ると史跡碑「理智光寺跡」と
宮内庁管理「後醍醐天皇皇子 護良親王墓所」が在ります。
’ 理智光寺橋 ’ 周辺は紅葉の時季が綺麗です。
( 参考:ホトカミ _ 理智光寺跡
https://hotokami.jp/area/kanagawa/Hkyty/Hkytytm/Dmspz/149307/ )
左折すると ’ 獅子舞 ’ 谷戸へ通じ、紅葉の時季が綺麗です。
ただし 私有地地区を通過させていただくので、
鎌倉市はハイキングコースとしての紹介を控えているようですので
マナーを心得ての散策をお願いいたします。
アクセス
JR鎌倉駅から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスを利用し「大塔宮」下車、瑞泉寺に向かい徒歩5分。
JR鎌倉駅東口から徒歩25分
編集前:・JR鎌倉駅から「鎌倉宮(大塔宮)」行きバスを利用し「大塔宮」下車、瑞泉寺に向かい徒歩5分。/・JR鎌倉駅東口から徒歩25分
創立
建久五年(1194)に三堂が完成/応永12年(1405)焼失
編集前:建久五年(1194)に三堂が完成 / 応永12年(1405)焼失
創始者/開山・開基
源頼朝
編集前:源頼朝が創設