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2024年06月10日(月) 11時22分 byゆーき

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ご由緒
編集前
村の西山丘の上にあり、村の鎮守にて観音寺の持なり、勧請の年代を傳へず、本地不動の木像を神體とす、立身にして長二尺五寸餘、本社は一間四方にて宮作なり覆屋三間四方東に向ふ、それより十歩ばかりをへたてて鳥居をたつ、それより北の方一町ばかりにして西へをれて石階七十餘級あり、祭禮は年々九月二十日、當社勧請の年代を詳にせず、古棟札に慶長十八年卯月一日、領主本田佐渡守再造のよしをしるしたれば、それよりさきに勧請せしことしるべし其後慶安二年の棟札には、領主市岡太左衛門本田四郎兵衛とあり、又寛文九年の棟札に市岡五左衛門本田善之助とあり、天和四年のには市岡五左衛門一人をしるせり。
末社鹿島社。
本社に向って右二ある小祠なり、石にて作る。(新編武蔵風土記稿より)
編集後
創建の時期は不明であるが、江戸時代に編纂された新編武蔵風土記稿によれば、「当社勧請の年代を詳らかにせず、古棟札に慶長十八年(一六一三年)卯月一日願主本多佐渡守再造のよしをしるしたれば、これより先に勧請せしことしるべし」とあるので、江戸時代より以前に勧請されたことがわかる。