御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

日蓮宗 妙秀山

樹源寺の編集履歴
2023年03月29日(水)
神奈川県 保土ケ谷駅

飛熊zさんのプロフィール画像
飛熊z
2023年03月29日 16時30分

ご由緒

当山は鎌倉時代末期まで、東方山医王寺という真言宗の巨刹(おおでら)でしたが、兵火にかかり薬師如来を安置した薬師堂のみを残して一時期廃寺同然となっていました。

 後、寛永年間( 1624-44 )になり、保土ヶ谷宿本陣刈部吉次の室(奥方)が日蓮聖人の御教に深く帰依され妙秀尼(みょうしゅうに)と号し、焼け残った薬師堂の大欅(おおけやき)の傍らに庵を結ばれ、師の善領院日了上人を招いて日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として開山致しました。
徳川四代将軍のご位牌

 開基妙秀尼は寛永九年(1632)五月二十二日遷化、開山日了上人は明暦三年(1657)九月二十七日に御遷化されています。

 妙秀尼は保土ヶ谷宿本陣の室であったことから、当山のご本尊の手前には徳川四代将軍のご位牌が奉安されています。

位牌中
「日光山東照宮大権現」とは、徳川家康のこと。
「台徳院殿一品大相国公」とは、二代将軍秀忠のこと。
「大猷院殿贈正一位大相国公」とは、三代将軍家光のこと。
「厳有院殿贈正一位大相国公」とは、四代将軍家綱のこと。
樹源寺沿革

 医王寺時代のなごりである薬師如来は、人々の病を平癒し苦悩を救う佛様と伝えられ、いつのひにか山門外の小堂に安置されて、お年寄りたちの眼病平癒の祈願を受けておりましたが、現在は、昭和五十四年日蓮上人第七百遠忌報恩事業の一環として建立された講堂の中に安置され、人々の信仰を集めています。また当山の墓地はJR東海道線を踏み切った小高い丘の南面に広がっておりますが、明治末から大正期にかけて活躍した、劇作家、山崎紫紅(1875~1939)の墓があることで知られています。
http://jyugenji.com/history.html

ご祭神/ご本尊

ご本尊は一塔・兩尊・四菩薩(薬師如来)・二大士・四天王である。
淸正公堂
藥師堂
帝釋堂

URL

http://jyugenji.com/index.html

参拝時間

開門時間.AM7:00~PM17:00

御朱印

あり

山号

妙秀山

院号

善通院

創始者/開山・開基

日領上人

行事


彼岸会棚経位碑供養
三月彼岸中日 正午
お盆棚経位碑供養
七月十三日 午後四時
お盆棚経位碑供養
八月十三日 午後四時
施餓鬼会卒塔婆供養
八月十六日 午後二時
彼岸会棚経位碑供養
九月彼岸中日 正午
お 会 式
十月十六日 午後二時

ログインすると情報を追加/編集できます。