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ながやてんまんぐう

永谷天満宮の編集履歴
2020年10月10日(土)
神奈川県 上永谷駅

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よってぃ
2020年10月10日 18時46分

ふりがな

ながやてんまんぐう

郵便番号

233-0012

ご由緒

相模国永谷郷(現在の上永谷ほか)座の天満大自在天神の御祭神である菅原道真公は、第六十代醍醐天皇の昌泰二年(899)、右大将に任ぜられた。
 道真公は更に、昌泰四年(901)年正月七日には従二位にも叙せられたが、その月二十五日に、筑紫の大宰府(福岡県)に員外帥(定員外の役人)として左遷されてしまった。
 道真公は大宰府に着任した翌年、鏡に向かってご自身の姿を三躰の木像に彫刻した。そしてその内の一躰は秀才淳茂に、一躰は筑紫大宰府安楽寺に、残る一躰は河内国(大阪府)土師村道明寺に安置されたのである。
 その後道真公は、延喜三年(903)二月二十五日、大宰府に於いて五十九歳で薨じている。
 
 さて、五男淳茂公は、はじめ播磨国(兵庫県)に配流となったが、後に関東に下向して永谷郷の下の坊に居館を構え、道真公自刻の御尊像を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりであると伝えられている。
 その後御神躰は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応二年(1493)二月のある夜、相模八ヵ郷の領主、上杉刑部太夫、藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに、天満宮の社殿を造営し、御神躰を安置し奉った。天文十二年(1543)に宅間伊織之亮、藤原綱頼が社殿を修造し、天正十年(1582)に宅間規富は宮社を再築している。
 明治六年、村社となった永谷天満宮は、明治四十四年四月三十日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
 御創建から五百余年、永谷天満宮は現在も多くの参拝者に親しまれ、霊験あらたかに私たちを見守り続けている。

メールアドレス

info@nagayatenmangu.or.jp

見所

菅原道真の息子 淳茂が足繁く通い遥か西方の太宰府に居る父を思慕したといわれる場所には、「菅秀塚」があります。淳茂自身の遺髪を納めたとも伝えられています。

アクセス

◆電車
横浜市営地下鉄上永谷駅より徒歩5分

◆バス
永野小学校前下車徒歩1分

◆車
環状二号線「上永谷駅入口」交差点過ぎてすぐ
※駐車場あり

参拝時間

御朱印受付時間:9時~16時

御朱印の説明

菅原道真が自身の姿を彫刻した3体の木像のうちの1体が永谷天満宮にまつられていることから、「日本三躰」の印が押されています。

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