文明五年(1473)釜利谷の領主・伊丹佐京亮が瀬戸神社の御分霊を宮ヶ谷の地に勧請したのが創始と伝えられる。延宝七年(1679)伊丹神社の子孫である三河守昌家の子、江戸浅草寺の智楽院忠運僧正が現在の地に遷祀して以来、釜利谷一郷の総鎮守として衆庶上下の崇敬を集め、明治六年村社に列格。社殿は大正十二年の震災で倒壊の後、同十五年に再建、昭和四十五年に御屋根を総銅板葺に改装した。
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