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はちまんざんかんのんじ|真言宗智山派八幡山

八幡山観音寺の御由緒・歴史
神奈川県 新横浜駅

ご本尊本堂   十一面観世音菩薩
不動堂  秘仏不動明王
     ※毎月第4日曜日御開帳
講堂   十一面観世音菩薩
鎮守   稲荷大明神
創建時代1590年(天正18年)
開山・開基権大僧都祐覺
ご由緒

八幡山観音寺は、安土桃山時代の天正18年(1590)に、権大僧都祐覺和上が開山したと伝えられています。開山年については異説が多く、鎌倉時代から存在したという記録もあります。しかし、多くの資料が明治時代に焼失したため、正確な歴史は不明です。
明治維新まで、観音寺は隣接する若宮八幡宮(現在の篠原八幡神社)と杉山神社(現在の岸根杉山神社)の別当寺を務めていました。別当寺とは、神社を管轄する寺院のことで、観音寺では住職が神官を兼ねて2つの神社の管理を行っていました。
江戸時代までは今のように寺院と神社が明確に区別されず、一体として独自の信仰を形成することが多々ありました。これを「神仏習合」と言います。特に八幡宮の祭神である八幡大菩薩(八幡大神)は、古くから仏教化が進んでいました。八幡大菩薩は仏教を守護し、仏教寺院は八幡大菩薩のために読経供養をするという相互関係が生まれていたのです。観音寺もこのような神仏習合の一部として創建されたものと思われます。
江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、観音寺について「本堂五間ニ六間。本尊十一面観音坐像六寸バカリナルヲ安ズ」と記されていて、現在も本尊として伝わる十一面観音坐像は、ここに記される当時のものであると推測されます。
また、不動堂に祀られている秘仏の不動明王立像は、元和6年(1618)に「庚申講」の本尊として造立されました。
その他、観音寺では寺子屋が催され、これが新横浜近隣の近代教育の礎となりました。
明治時代になると、観音寺は「神仏分離令」によって八幡宮・杉山社と境内を区別することとなり、「上地令」によってほとんどの土地を失いました。重ねて明治15年(1882)には謎の出火により、わずかな仏像や仏画、過去帳などの書物を残してすべての堂宇が焼失しました。
長い間、廃寺同然となって正式な住職を欠いていた観音寺は、大正時代に第19代住職として隆超和上(後の川崎大師平間寺43世貫主)が晋山し、ようやく仮本堂と庫裏が再建されました。
太平洋戦争中には、すでに川崎大師貫主となっていた隆超和上が川崎大師の本尊「厄除け弘法大師」ならびに宝物を観音寺に疎開さたことが知られています。川崎大師は川崎大空襲でほぼ全焼の大被害を受けましたが、この疎開により本尊や宝物は守られ、今に伝わっています。
戦後には隆超和上の弟子の隆侃和上が昭和52年(1977)に現在の本堂を再建し、さらに平成9年(1997)には不動堂が、平成25年(2013)には講堂が落慶し、観音寺は往時の姿を取り戻しました。

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