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三宝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月19日(月)
参拝:2022年12月吉日
22.12.08。先の本覚寺さんより直ぐの横浜市神奈川区台町7丁目にある浄土宗の寺院。
山号 瑠璃光山
院号 醫王院
草創 天正・文禄の頃
開山 嘆譽聞諦(たんよもんたい)
本尊 釈迦如来像
札所 武南十二薬師霊場第十二番
【沿革】当寺パンフレットより
昔時、東海道に面して薬師如来を安置する小堂宇がありました。その堂宇を一寺に創建したのが嘆譽聞諦上人で、織田信長・豊臣秀吉が中央政権を握っていた天正・文禄の頃といわれています。江戸幕府の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「三宝寺 海道の西北の側なり」と位置に続き、由緒として「弘仁年間、諸国に疫病が流行りこの厄難を避けるため、弘法大師に66体の薬師如来を刻し全国に安置せよ、との勅命が下りました。そのうち武蔵国に安置された1体が当寺の本尊になった」とあります。(後略)
”天空の寺”と思しく、約10mの高架柱上に、本堂・庫裡・客殿が建てられているのが目を惹く珍しいお寺さんですが、何んと設計は先代ご住職のようです。本日は法要中でしたので本堂内の参拝は出来ませんでしたが、お優しい対応の奥様から直書きの御朱印を拝受致しました。
山号 瑠璃光山
院号 醫王院
草創 天正・文禄の頃
開山 嘆譽聞諦(たんよもんたい)
本尊 釈迦如来像
札所 武南十二薬師霊場第十二番
【沿革】当寺パンフレットより
昔時、東海道に面して薬師如来を安置する小堂宇がありました。その堂宇を一寺に創建したのが嘆譽聞諦上人で、織田信長・豊臣秀吉が中央政権を握っていた天正・文禄の頃といわれています。江戸幕府の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「三宝寺 海道の西北の側なり」と位置に続き、由緒として「弘仁年間、諸国に疫病が流行りこの厄難を避けるため、弘法大師に66体の薬師如来を刻し全国に安置せよ、との勅命が下りました。そのうち武蔵国に安置された1体が当寺の本尊になった」とあります。(後略)
”天空の寺”と思しく、約10mの高架柱上に、本堂・庫裡・客殿が建てられているのが目を惹く珍しいお寺さんですが、何んと設計は先代ご住職のようです。本日は法要中でしたので本堂内の参拝は出来ませんでしたが、お優しい対応の奥様から直書きの御朱印を拝受致しました。
札所本尊
御朱印の挟み紙
歌人で知られた21世住職の説明。
歌人で知られた21世住職の説明。
頂いたパンフレット。
寺号標
寺院入り口
1F 客殿・庫裡
2F 本堂
昭和50年、開宗800年を記念して完成。
2F 本堂
昭和50年、開宗800年を記念して完成。
1F 玄関内
こちらで直書きの御朱印を拝受。
こちらで直書きの御朱印を拝受。
墓地内
↓
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永代供養合祀墓
外観
すてき
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