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2024年07月07日(日) 13時42分 byひなぎく
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当社は、永禄4年(1561年)9月1日に、武蔵国の氷川神社よりご分霊を勧請したことに始まるとされ、明治の初年ごろまでは一之宮大明神、一之宮明神社と称されてきた。
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子安の地は、神之木台遺跡、大口坂遺跡、その他があることからも推察されるように、縄文時代の昔より人間にとって住みやすい環境が与えられた所でした。我々の祖先は、海や山から自然の恩恵を受けて生活していたことでしょう。特に、この場所は、現在でも海を臨むことの出来る小高い丘ですが、近代に入り、海岸線を埋め立てるまではもう少し高い山でした。東海道沿いに展開した子安の浜の漁師にとって、漁場を定める目印となっていたそうです。 当然、漁師の信仰を集め、また、東海道沿線ということもあり古くから小祠を以ってお祭りをしていたようです。 その後、永禄4年(紀元2221年、西暦1561年)9月1日第106代、正親町天王の御宇、武蔵國(埼玉県、東京都大部分、神奈川県東部)の一の宮、元官幣大社氷川神社(埼玉県大宮市鎮座)の分霊を現在地に勧請したところから「一之宮大明神、一之宮明神社」等と称されて居ります。 江戸時代、徳川幕府の官撰地誌の最初である「新編武蔵風土記稿」にも収録され、白髭老神の伝説などもあり、連綿と祭祀が今に続いて居ります。 伝説の一例 元禄3年(西暦1690年)7月、村内に疫病が蔓延した折、入江川畔に白衣長髭の翁が現われ、「吾は一之宮大明神だが、近来氏子村民が敬神の念乏しく、社殿は大破し、祭祀を怠っているために災禍が横行するのである。以降、祭祀の礼を厚くすれば疫病はなくなる」と告げた。そこで、神楽を奏し、神拝の式を行うと忽ち疫病がなくなったという。その他いくつもあります。 (境内由緒より)
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ご祭神 素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) [合祀]保食命(うけもち) ※[同一説]宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま) ※[神仏習合]馬頭観音(ばとうかんのん) [合祀]事代主神(ことしろぬし) ※[通称]恵比寿神 [合祀]淤母陀琉命/面足尊(おもだる) [合祀]大綿津見神(おおわたつみのかみ) ※[同義]綿津見三神: −上津綿津見神(うわつわたつみ) −中津綿津見神(なかつわたつみ) −底津綿津見神(そこつわたつみ) [合祀]水速廼女命(みずはやのめ) ※[別名]水波廼女神/美都波能女命/禰津波能売神/罔象女命/水波能売命/弥都波能売神(みずはのめ) [合祀]塩土老命/塩土老翁神(しおつちのおじ) ※[別称]塩筒大神(しおづつのおおかみ) ※[別称]塩椎神(しおつちのかみ) [合祀]船玉姫命(ふなだまひめ) [合祀]表筒之男命(うわつつのお) [合祀]豊玉毘売神/豊玉姫(とよたまひめ) [合祀]瀬織津比売神/瀬織津姫命(せおりつひめ)
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《主》素盞嗚命 《合》保食命、事代主命、面足命、海津見命、水速廼女命、塩土老命、船玉姫命、表筒男命、豊玉姫命、瀬織津姫命
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http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=9833
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・JR京浜東北線「新子安駅」下車 徒歩7分 ・京急「子安駅」下車 徒歩8分