かしまじんじゃ
鹿島神社のお参りの記録一覧
三浦半島、横須賀方面ヘ出掛けました。最初の地、逸見は(へみと読む)日本に漂着したオランダ船のイギリス人航海士三浦按針、本名ウイリアム・アダムズの領地であった場所です。寛永13年、三浦按針の子が社殿を造営した記録があったとのこと。元の鎮座地は鹿島崎と呼ばれる海辺で現在は海上自衛隊の基地内になります。現在地は三浦按針の屋敷跡だと云われています。社務所は神社から出て、社殿の左側にありました。社務業務は週に2回ほど休みがある様で、火曜日は休みで後は覚えていません。水曜日だったのでラッキーと思い記録していませんでした。書置きの御朱印を拝受いたしましたが、大判の御朱印帳でも若干はみ出てしまいます。
社号標
鳥居
慰霊碑
参道
手水舎
手水鉢
神楽殿
昭和五年(1930)奉納の狛犬
由緒書
灯籠
拝殿
扁額
本殿
ひっそりと隠れている狛犬は遷座してくる際に海軍基地内から移設してきたらしい。詳細は不明だとか
玉垣改装記念塔(昭和三十八年)
24.07.04。先の浄土寺のすぐ近くに鎮座。
御祭神 武甕槌命
(タケミカツチのミコト)
創建年 応永17年(1410)4月
社格等 旧村社
例祭日 6月第1土・日曜日
【由緒】〜境内由緒板より抜粋〜
応永17年4月三浦遠江守が常陸の鹿島神宮より勧請したと伝えられる。相模風土記に「村の鎮守神体木像(1尺2寸)像背に応永17年と銘あり又その文に大檀那三浦遠江子時応永17庚寅卯月初8日、五郎四郎□□佛子某敬と記し花押あり」と見える。(中略)
寛永13年(1636)8月24日、三浦按針(ウイリアムアダムス)の子が社殿を造営した棟札が存在していたが、明治24年8月に焼失、明治28年6月に現在地に社殿を建造して遷座。明治41年、町内の6社を合併して今日に至る。
当社は横須賀市緑ヶ丘の「諏訪大神社」の兼務社。解放感あるスッキリした境内は綺麗にされており、気持ち良く参拝できました。
社頭
鳥居
社号標
手水舎
参道〜社殿遠景
狛犬(阿形)
(吽形)
拝殿
本殿
神楽殿
神輿庫か?
社務所
無人かと思いましたが、人はおり書き置きの御朱印を拝受しました。
外観
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