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2024年07月28日(日) 17時13分 byひなぎく
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誉田別尊 ( ほむだわけのみこと ) 八雲大神 ( やくものおおかみ ) 菅原道真 ( すがわらみちざね ) 稲荷大明神 ( いなりだいみょうじん ) 天照大御神 ( あまてらすおおみかみ ) 大物主神 ( おおものぬしのかみ ) 大山祇神 ( おおやまつみのかみ ) 720年(養老4年)創建といわれる。祭神は応神天皇。武家に厚く信仰されており、徳川家康から3石の社領を寄進され、以後も代々の将軍から12枚の御朱印状を受けている。拝殿正面の社名額の文字は、太政大臣・三条実美の筆。天井の竜の絵は、八幡村の明主・文人の長島尚賢、号雪操が描いたものである。 例年6月と12月には「茅の輪くぐり」が、7月には「八雲祭」がおこなわれる。 https://kurihama.info/jisya/yahatajinja/
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日本書紀が書かれた養老4年(720)当時の武人たちによって創建されたと伝えられております。 応神天皇は仲哀天皇と神功皇后との間の皇子西暦239年第15代天皇であり、大和国と九州を統合し、日本の統一国家の基礎をつくり、その治世に新しい産業文化の育成を図られ、技術導入にも御熱心であったことから、先取的な事、発展的な事に御利益があるとされ、お祀りされております。 当神社境内から弥生式土器が出土しているので古墳が点在していたことが立証されます。特に前方後円墳(たで原遺跡)の発見は当時有力な豪族のもとで稲作が行なわれていたと思われ、たで原と八幡地区が生活の中心であり最も栄えたといわれます。 天正18年豊臣秀吉は天下統一の最後の小田原攻めにより三浦の北条氏を滅ぼし鶴岡八幡宮に祈願し、栗浜(現久里浜)八幡神社には米三石を寄進され、徳川歴代将軍もこれにならい継承し武運長久祈願に武具などを奉納し幕府の直轄地(天領)と定め米三石、社領約千余坪の御朱印を賜りました。 その後明治31年黒田内閣により「八幡宮」の御名を賜わり大正年間神饌幣帛供進神社に指定、第二次世界大戦後、日本国憲法の制定により戦前の神道が廃止され、御社名がもとの八幡神社と称して今に至っております。 (境内ご由緒より)
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誉田別尊 ( ほむだわけのみこと ) 八雲大神 ( やくものおおかみ ) 菅原道真 ( すがわらみちざね ) 稲荷大明神 ( いなりだいみょうじん ) 天照大御神 ( あまてらすおおみかみ ) 大物主神 ( おおものぬしのかみ ) 大山祇神 ( おおやまつみのかみ ) 境内社 伏見稲荷社 豊川稲荷社 海軍工作神社
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《主》応神天皇 《配》天照大御神、素戔嗚尊、大物主大神、大山祇大神、菅原道真公
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板墨画「龍図天井」(市指定重要文化財)