しらひげじんじゃ
白髭神社の編集履歴
ご由緒
往古、浦賀入港の船が野比千駄ヶ崎でしばしば遭難したので、これを憂えた住民が海上安全を祈って、とがさん(今の富塚山)山上に猿田彦神を勧請したと伝える。
寛永8(1631)年菱沼某が発起して同山南麓に社壇を築き、神威に応えたのが現在の社地である。
元禄4(1691)年菱沼茂行等が社殿を再建し、安政2(1855)年にも改築があった。明治6年村社に列し、同41年村内の稲荷社、天神社、諏訪社、貴船社、子神社、水神社、神明社を合祀した。
社殿裏の境内林富塚山は遠方からもよく目立つ小高い山であるが、広範な樹種が分布し植物学的にも貴重な宝庫として昭和51年神奈川県天然記念物に指定された。
編集前:往古、浦賀入港の船が野比千駄ヶ崎でしばしば遭難したので、これを憂えた住民が海上安全を祈って、とがさん(今の富塚山)山上に猿田彦神を勧請したと伝える。
寛永8(1631)年菱沼某が発起して同山南麓に社壇を築き、神威に応えたのが現在の社地である。
元禄4(1691)年菱沼茂行等が社殿を再建し、安政2(1855)年にも改築があった。明治6年村社に列し、同41年村内の稲荷社、天神社、諏訪社、貴船社、子神社、水神社、神明社を合祀した。
社殿裏の境内林富塚山は遠方からもよく目立つ小高い山であるが、広範な樹種が分布し植物学的にも貴重な宝庫として昭和51年神奈川県天然記念物に指定された。
ご祭神/ご本尊
《主》猿田彦神
《合》瓊瓊杵尊・菅原道真・経津主神・罔象女神・豊斟渟尊・水速男命・豊受大神
編集前:《主》猿田彦神
《合》瓊瓊杵尊・菅原道真・経津主神・罔象女神・豊斟渟尊・水速男命・豊受大神
本殿/本堂の建築様式
本殿ー神明造、幣殿ー切妻造、拝殿ー入母屋造
行事
例大祭、七月十五日前後の日曜日。