ばんしんどう
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番神堂の編集履歴
2024年02月17日 18時57分
ご由緒
文永8年(1271)9月12日鎌倉幕府は、日蓮聖人を捕らえ佐渡流罪とし乍ら、片瀬龍の口の刑場で首を刎ねようとしました。当地に住む刀匠、鈴木弥太郎貞勝公が鍛えた太刀、蛇胴丸を刑吏の武士が振りかざした刹那に江の島の方より、突如として光り物が現れ蛇胴丸は砕け散りました。難を免れた聖人は佐渡守護代本間重連公の依知の館へ向かいました。
途中座間通過に当たり鈴木弥太郎貞勝公は、自邸に聖人の御休息を願い教化を仰ぎ、帰依を誓い「円教房」の御名を賜りました。
円教房が「此の地の水は刀を鍛えるに適しません。聖人のお力で、よき水を授かりますなら」と申しますと聖人は傍らの石に『南無妙法蓮華経』と認め『法華経』を唱え地を掘りますと、俄かに清水が湧き出ました。流れは今尚絶えません。番神水と尊ばれ、嘗めては地域の大切な生活用水でした。人々は、番神様を親しみ崇敬し、お守り申し上げております。
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