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ひえだいじん

日枝大神の編集履歴
2024年01月01日(月)
神奈川県 入谷駅

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ひなぎく
2024年01月01日 14時29分

ご由緒

当社の創建は、元亀年間(1570~1573)と伝えられています。創健者は織田信長に敗れた美濃国の斎藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神を四ツ谷の氏神として祀ったと伝えられています。
宝暦十三年に火災にあい、七十八年後の天保十二年(1841)に再建、棟札に「山王大権現」と記され手水石や諏訪社の祠の奉納年号から見ると、社域もこのころから整えられてきたようです。
明治二年(1869)「山王大権現」から「日枝神社」に改称、祭神も「大山咋命」に変わり同六年には村社に列され、同十八年八月に再遷宮の記録があります。
昭和九年(1934)五月、社殿再建と共に神楽殿も完成し外郭も整ったころで、当時の東京府麹町の日枝神社より新たに分霊し、社号も同年十月に「日枝大神」に改め現在にいたっています。
境内には次の諸社が祀られています。

【天満宮】(菅原道真)
創建年代不詳。四ツ谷の鎮守だったともいわれ、大正二年、県の指令により当社境内に移されるまでは大きな樹木が生い茂る「天神森」と呼ばれるところにありました。現在はコミュニティセンターと配水管理所が建設され敷地の一角に天満宮の記念碑があります。

【稲荷社】(稲倉魂神)
祭神は農業に深い関わりを持ち五穀をつかさどる神。創建は文政五年(1822)と伝えられています。平成十二年(2000)に総稲荷社、上稲荷社、下稲荷社の三社を再建。

【諏訪社】(建御名方神)
濃水生活根源の神。長野県の諏訪大社の末社。創建年代不詳。明治十八年八月と平成十二年に祠が再建され翌十三年に覆屋も新調奉納されました。

【秋葉社】(火迦具土神)
祭神は火防の神。静岡県秋葉神社の末社です。創建年代不詳。

【三峰社】(伊邪那岐命・伊邪那美神)
祭神は日本の国土を産んだ神。埼玉県秩父の三峰神社の末社と見られます。創建年代不詳。

※秋葉社と三峰社は一つの覆屋に二社を祀る。

編集前:当社の創建は、元亀年間(1570~1573)と伝えられています。創健者は織田信長に敗れた美濃国の斎藤龍興(道三の孫)の遺臣四名で、この地を開拓し祭神を四ツ谷の氏神として祀ったと伝えられています。
宝暦十三年に火災にあい、七十八年後の天保十二年(1841)に再建、棟札に「山王大権現」と記され手水石や諏訪社の祠の奉納年号から見ると、社域もこのころから整えられてきたようです。
明治二年(1869)「山王大権現」から「日枝神社」に改称、祭神も「大山咋命」に変わり同六年には村社に列され、同十八年八月に再遷宮の記録があります。
昭和九年(1934)五月、社殿再建と共に神楽殿も完成し外郭も整ったころで、当時の東京府麹町の日枝神社より新たに分霊し、社号も同年十月に「日枝大神」に改め現在にいたっています。
境内には次の諸社が祀られています。

・天満宮(菅原道真)
創建年代不詳。四ツ谷の鎮守だったともいわれ、大正二年、県の指令により当社境内に移されるまでは大きな樹木が生い茂る「天神森」と呼ばれるところにありました。現在はコミュニティセンターと配水管理所が建設され敷地の一角に天満宮の記念碑があります。

・稲荷社(稲倉魂神)
祭神は農業に深い関わりを持ち五穀をつかさどる神。創建は文政五年(1822)と伝えられています。平成十二年(2000)に総稲荷社、上稲荷社、下稲荷社の三社を再建。

・諏訪社(建御名方神)
濃水生活根源の神。長野県の諏訪大社の末社。創建年代不詳。明治十八年八月と平成十二年に祠が再建され翌十三年に覆屋も新調奉納されました。

・秋葉社(火迦具土神)
祭神は火防の神。静岡県秋葉神社の末社です。創建年代不詳。

・三峰社(伊邪那岐命・伊邪那美神)
祭神は日本の国土を産んだ神。埼玉県秩父の三峰神社の末社と見られます。創建年代不詳。

※秋葉社と三峰社は一つの覆屋に二社を祀る。

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