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2025年04月02日(水) 18時22分 byひなぎく

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ふりがな
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こうとくじ
ご由緒
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「風土記稿」よると、無量光寺(本市当麻)の末寺で、山号を塩田山といい、地蔵菩薩を本尊としています(現在の本尊は観音菩薩)。また、向得という僧が創建したとしています。
同書所収の寺伝では、この向得はもともとは足利持氏に仕えていた芳賀氏の千菊丸という人で、この世を忍んで、当地に向得寺を開いたとしています。その後、寺は天文年間(1532~1555)に兵火によって焼失しましたが、津久井城主内藤大和守某が、住阿弥に請うてこれを再興したと伝えています。ちなみに、住阿弥は新田武蔵守義宗の子孫であり、兵法に熱心だったため津久井城にいることが多かったといわれています。
また、伝承では天文年聞の兵火の際には塩田の集落に1日に500張の提灯を作ることが強制され、それができなかったために寺に火をつけ、照明代わりとして夜の相模川を武士たちが渡ったといわれています。
昭和初期まで地域では養蚕が盛んに行われていました。当時、寺には「蚕彰さん」と呼ばれる観音菩薩がまつられており、盛んに養蚕豊作祈願が行われていたということです。
山号
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塩田山
創始者/開山・開基
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向得(芳賀氏の千菊丸)