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楽しみ方編集詳細
2024年03月17日(日) 14時46分 byひなぎく
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創立年月日は不詳であるが、延文元年(1356)以前より村の鎮守として仏弥陀を安置す。別当は仏像院磯幡山神宮寺と称した。開山は祐円(延文2年9月22日没)である。享保18(1733)年7月15日に別当・磯幡山神宮寺20世仏像院快省法印がこれを再建し、毎年角力を興行していた。江戸初期の不動尊と、推定樹齢約500年といわれる銀杏が現存する。当山は山伏の修験場であって、江戸時代には沢山の護摩が焚かれ、境内は非常に賑ったと伝えられる。当時は依知、山際等からも参拝があり、特に火渡りの護摩が有名であった。明治2年神仏混淆の禁令により別当職が解かれ、爾来神官が奉職する事になる。八幡大神と称した明治6年12年3月に社殿を新改増築した。昭和10年9月27日、指定村社に列せられた。昭和28年7月、法律の施行により宗教法人となる。昭和57年10月、東京電力株式会社の高圧送電線神社用地の一部上空通過に伴いその補債料にて社殿、鳥居、石段、手水舎、神楽殿等改築又は新築し、昭和60年4月、竣工、面目一新し現在に至る。尚神社境外地には市立上磯部児童館・自治会館等もあり地域行事の中心になっている。
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八幡社はもともと源氏の氏神でありますがこの社は古く創立年月日は不詳であります。延文元年(1356)以前より磯部村の鎮守として信仰厚く、御神像として仏弥陀を奉斉しております。この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓(延文2年9月22日没)で、別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺でありました。又、文明10年3月(1478)太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)がありました。記録によると文禄3年(1594)当時には八幡宮は幕府から社領10石を与えられておりました。 享保18年(1733)7月15日別当磯幡山神宮寺廿世、仏像院快省法印再建し毎年8月15日に角行を興行にしておりました。当時の地頭は大津新右衛門で、上下村勝坂氏子中と棟札に記されております。江戸初期の不動尊と寺社奉行宛古文書等、推定樹齢500年の銀杏が現存しております。当社では山伏の修験が行われ、江戸時代には沢山の家業繁昌厄除の護摩が焚かれ、又この地域は大山詣りでの宿場のため境内は非常に賑ったと伝へられます。当時は対岸の依知、山際等からも参拝あり特に火渡りの護摩が有名でありました。 明治2年神仏混淆の禁令により別当職が解かれ八幡大神と称しました。明治6年太政官布告により官有地第1種に編入され、同年12月磯部村村社に指定されました。明治26年の神社明細書には氏子数(上磯部、下磯部勝坂)で229戸と記してあります。明治40年境外地(山林)は神社風致林として宮内省御料局より拂下げを受けました。大正12年3月老朽に伴い氏子の奉賛により社殿を新改築いたしました。昭和10年9月27日新磯村の総鎮守として指定村社に列せられ法律の施行により昭和28年7月宗教法人となりました。昭和57年10月東京電力株式会社の送電線神社用地、上空通過に伴う神社補償料にて、御社殿、末社、鳥居石段手水舎等の改築整備を建設委員会を設置して行い昭和60年4月竣工いたしました。先人の築いた長い由緒を持つ地域の氏神様として、郷土の繁栄と健康で遠永に平和で豊かな生活ができますよう厚い御加護があるものと祈願いたします。
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小田急線「相武台前駅」発 台14原当麻駅行 バス停「上磯部入口」下車 徒歩2分
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不詳
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一間流造り
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木造不動明王坐像(市指定重要文化財)
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仏弥陀