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そうちゅうじ|浄土宗来迎山

宗仲寺の編集履歴
2025年03月09日(日)
神奈川県 相武台下駅

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ひなぎく
2025年03月09日 16時18分

ご由緒

当寺は徳川家康公の重臣で、時の領主・内藤清成が、1603年(慶長8年)実父竹田宗仲の菩提の為、鎌倉岩瀬・大長寺第四世・源栄上人を開山として創建したと伝えられています。
当寺域には、平安時代に宗仲寺の前身として伝えられています。良真院、鎌倉時代には澁谷道場と呼ぶ修行場があり、その跡に当寺が建立されたと思われます。源栄上人は家康公の厚い信任を受け、松平家の菩提寺であり、徳川家先祖の墳墓がある岡崎(愛知県)の大樹寺第十九世住職となった後、当寺へ隠棲されたと伝えられています。
当寺には家康公が在世中に鷹狩りの際、立ち寄られたと云われ、1617年(元和3年)家康公の霊柩を久能山から日光へ遷御の折、一行が休息しました。後に、寺領として7石4斗の御朱印及び下馬札を賜ったほか、家康公から下賜された茶器一式、家康公木彫像(源栄上人作)、家康公肖像画一幅等が寺宝として伝えられています。
本堂等の伽藍は、1876年(明治9年)の新戸大火で山門を残して焼失しましたが、1894年(明治27年)に再建され、1975年(昭和50年)に本格的改築が行われ、現在に至っています。また、1981年(昭和56年)には、水子観音堂が建立され、巨匠・山本豊市氏(1899〜1987)による乾漆彫刻の水子観音像が奉安されています。

編集前:当寺は徳川家康公の重臣で、時の領主・内藤清成が、
1603年(慶長8年)実父竹田宗仲の菩提の為、
鎌倉岩瀬・大長寺第四世・源栄上人を開山として創建したと伝えられています。
当寺域には、平安時代に宗仲寺の前身として伝えられています。
良真院、鎌倉時代には澁谷道場と呼ぶ修行場があり、その跡に当寺が
建立されたと思われます。
源栄上人は家康公の厚い信任を受け、松平家の菩提寺であり、
徳川家先祖の墳墓がある岡崎(愛知県)の大樹寺第十九世住職となった後、
当寺へ隠棲されたと伝えられています。
当寺には家康公が在世中に鷹狩りの際、立ち寄られたと云われ、
1617年(元和3年)家康公の霊柩を久能山から日光へ遷御の折、
一行が休息しました。後に、寺領として7石4斗の御朱印及び下馬札を賜ったほか、
家康公から下賜された茶器一式、家康公木彫像(源栄上人作)、
家康公肖像画一幅等が寺宝として伝えられています。
本堂等の伽藍は、1876年(明治9年)の新戸大火で山門を残して
焼失しましたが、1894年(明治27年)に再建され、
1975年(昭和50年)に本格的改築が行われ、現在に至っています。
また、1981年(昭和56年)には、水子観音堂が建立され、
巨匠・山本豊市氏(1899〜1987)による乾漆彫刻の水子観音像が奉安されています。

見所

徳川家康公に仕えた戦国武将・内藤清成によって創建されたお寺です。
御本尊の「阿弥陀如来」、相模七福神の「寿老人」、本堂大天井水墨画の「蒼龍」の3体の御朱印があります。

編集前:阿弥陀如来と寿老人の2体御朱印あり〼

創始者/開山・開基

源栄上人(開山)内藤清成(開基)

編集前:源栄上人(開山)

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