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勝栗神社ではいただけません
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勝栗神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年08月18日(金)
参拝:2016年8月吉日
過去(2016年<平成28年>)参拝分の投稿です。
車で走っていた時、たまたま見つけた神社でした。
名前が勝栗神社ということで、縁起が良さそうなので参拝しました。
旧社格は郷社で、ご祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の三柱です。
勝栗神社と呼ばれたのは明治以降のことで、島津義弘公が文禄元年(1592年)2月に朝鮮出兵の折、「野も山もみな白旗となりにけり 今宵の宿は勝栗の里」と詠んだ故事に起因しています。
鹿児島神宮を正八幡とする神領の四方に正若宮を建立することとなり、北に位置するこの場所を栗野八幡とし、正八幡の境界の印としました。
もともと八幡を名乗っていたことで、祀られているご祭神に納得がいきました。
拝殿の中で見た龍が印象に残っています。
社務所はありましたが、留守のため御朱印は頂けませんでした。
車で走っていた時、たまたま見つけた神社でした。
名前が勝栗神社ということで、縁起が良さそうなので参拝しました。
旧社格は郷社で、ご祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の三柱です。
勝栗神社と呼ばれたのは明治以降のことで、島津義弘公が文禄元年(1592年)2月に朝鮮出兵の折、「野も山もみな白旗となりにけり 今宵の宿は勝栗の里」と詠んだ故事に起因しています。
鹿児島神宮を正八幡とする神領の四方に正若宮を建立することとなり、北に位置するこの場所を栗野八幡とし、正八幡の境界の印としました。
もともと八幡を名乗っていたことで、祀られているご祭神に納得がいきました。
拝殿の中で見た龍が印象に残っています。
社務所はありましたが、留守のため御朱印は頂けませんでした。
ご神徳であろう事柄が6つ書かれている
「野も山もみな白旗となりにけり 今宵の宿は勝栗の里」
文禄元年(1592年)2月に島津義弘公が朝鮮出兵の際、ここ正若宮で詠まれたとされる。
文禄元年(1592年)2月に島津義弘公が朝鮮出兵の際、ここ正若宮で詠まれたとされる。
社殿風景 ①
拝殿が解放されていたので、中を覗いたら龍がいました。
勝栗神社の由緒書き
社殿風景 ②
年代を感じさせる鳥居
すてき
投稿者のプロフィール
神社猫52投稿
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