いたてつわものぬしじんじゃ
射楯兵主神社へのアクセス
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駐車場に関する投稿
【薩摩國 人気神社巡り】
射楯兵主神社(いたて・つわものぬし~)は、鹿児島県南九州市頴娃町別府にある神社。旧社格は無社格。祭神は素戔嗚命、宇気母知命。別名「釜蓋神社(かまふた~)」、「釜蓋大明神」。
伝承によると頴娃に住む臣下を訪れた天智天皇の接待のために米を炊いていると、突如起こった突風で釜蓋が遠く離れた当地まで吹き飛び、里人がこれを祀ったのが始まりとされる。実際の創建は不詳だが、文政期(1818年~1830年)から800年前の創建と言われ、少なくとも江戸時代前期の1667年、薩摩藩2代藩主・島津光久のころの『頴娃郷神仏誌』に当社の修補に関する記載がある。1716年には社殿が火災で焼失するが、翌1717年には再建しており、棟札には「開聞宮末社釜蓋大明神」と記されている。1843年には第10代藩主・島津斉興が国家鎮護・武運長久の祈願を行っている。なお、当社は釜蓋を頭上に載せて参拝する「釜蓋願掛け」や素焼きの釜蓋を投げる「釜蓋投げ」で知られ、近年では勝負事に強い神社としての評判が広まり、サッカーの元日本代表の澤穂希が祈願に訪れたり、中村俊輔がお守りを身に付けたことでパワースポットとして有名になった。
当社は、JR指宿枕崎線・頴娃大川駅の南方1kmの、入江の岩礁の突端にある。小さな島のような形状で中央に社殿、その裏手は小さな林になっていて、海側は「希望の岬」と名付けられていて、大海原と開聞岳を望むことができる。釜蓋の縁起、有名人の参拝と合わせ、観光地的要素も充実しており、休日レジャーの目的地としても良さそう。
今回は、旅行情報サイト「じゃらん」、「ぐるたび」、「4travel」で人気寺社仏閣ランキングの上位にランクインしていることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、自分たち以外にも何組もの参拝者が訪れていた。
※「射楯兵主神社」という社名の神社は全国で2社あり、当社と兵庫県姫路市のものがあるが、読み方が異なる。当社は「いたて・つわものぬし~」、兵庫県姫路市の神社は「いたて・ひょうず~」と読む。
※当社の駐車場は複数あるがいずれも小さく、境内から距離が離れている。近い駐車場から埋まって行くものの、回転も速いので、満車の際そこで待つか諦めて遠くに行くかの判断がポイント。運の問題だけど...(^_^;
境内北端入口の<一の鳥居>。社号標や扁額はないが、鳥居の額束の部分に社名が書かれている。
海沿いの、きれいに舗装された参道を進んで行く。
<境内>全景。かわいらしいサイズの一つの島が神社になっている。
社殿へのスロープを登って行くと<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐって、右手にある<手水舎>。
<拝殿>全景。朱色が鮮やか。手前右側には<巨大釜蓋>がある。
<拝殿>正面。入口部分が鳥居のようになっているのが面白い。
<拝殿>内部。入口上部に社号の扁額。建物内が拝所になっている。
拝殿内から見た<本殿>。
拝殿を出て、社殿の右手、手水舎の後ろにある<社務所>。
御朱印はこちらではなく、拝殿内の右手のテーブル上に書置きのものが置いてある。
拝殿後ろの<本殿>。朱色の躯体も鮮やかだが、ミントグリーンの屋根もビビッド。
拝殿の右手にある<寿石>。石を撫でて祈願する。良縁、子宝、安産の御利益。
社殿の左手に面白い形の鳥居があるので、その先に進んでみる。
通路を進んで行くと、右側に<本殿>が見える。
通路はこんな感じ。しはらく林の中を進む。
通路の先には、<希望の岬・展望所>。釜蓋の屋根が面白い。
南側の眺め。
南側に立っている<歌碑>。
西側に見える<希望の岬>の突端。海がきれい。
最後に、東側に見える<開聞岳>。ここから13kmほど離れたところにある。
さすが「薩摩富士」と呼ばれるだけあって、均整の取れた美しいプロポーション。(^▽^)/
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