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やまきたはちまんじんじゃ

山北八幡神社の御由緒・歴史
香川県 丸亀駅

ご祭神品陀和気尊(ほんだわけのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
ご由緒

山北八幡宮と奉稱せられ、旧丸亀市の産土神なり。
宝暦の社記によれば、当社往昔は船山に鎮座ありて船山大明神と奉稱せらりしか、船山後に亀山と稱すせらるるに至り随って、亀山大明神と稱えらるるに至れりとありて伝うる所によれば、往古亀山は船山又は浪越山と稱せられ、海潮山のふち迄満ち来りしを以って北の山に於て船を造り又修理せしより船山と稱したり。後年此の沖に大亀来たりしを捕えて朝廷に献ず。以来沖を丸亀沖と稱し、船山を亀山と稱するに至れりと言う。三代実録に「元慶五年十一月十四日戊午讃岐国正六位上船山神従五位下授」とあるは当社なりと言えり。道隆寺温故記には、延久五年秋八月祐善法印勅を奉じて、当社四ヶ處に八幡宮を創建すとあり。
又、慶保年間崇徳天皇鵜足郡亀山の北に登り給い(亀山古くは鵜足郡に属せしと)遥に山城国雄徳山の大神を拝し給う。依てその跡に小祠を営み山北八幡宮と奉稱すとも言う。永仁五年遷宮。貞治三年遷宮のこと温故記に見ゆ。或は貞治元年海崎元村再興すとも言えり。
慶長七年国守生駒一正西讃鎮護の為め亀山に築城し、故を以て当社を柞原郷王子森に遷座して社殿を造営し神領十六石を寄進す。
然れども社号は山北八幡宮と唱え奉れり。寛永十八年山崎家治封西讃に受け丸亀に居城するや社殿を修して候社となし、京極丸亀藩主となるに及びて亦厚く崇敬せり。丸亀は生駒氏築城以来追々繁栄して西讃の主要地となり。当社遷宮後も丸亀は当社氏として今日に及べり。而して亀山の鎮座地は明治六年兵営建設の際取り除かれてその跡を失うに至れり。明治四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

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