しずかやくし
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【長い尾の龍に愛された舞姫③蛇】
夫である源義経が打たれ、生まれた生後間もない息子も殺され、彼らや源平合戦で亡くなった人たちを弔いつつ過ごした、静御前の終の住処が香川県木田郡三木町井戸にあります
母の磯禅師はさぬき市出身で、親戚を頼って「静薬師」の地に落ち着いたということです
この辺りは古墳時代前期〜後期にかけての古墳が数多くあり、「丸井古墳」「蛇の角古墳」、また「宇佐神社」の「亀鶴古墳群」も近くにあります
"丸""亀"などから古代豪族和珥氏との繋がりを連想させますが、静御前の雨乞いの能力の高さは、もしかしたら豊玉姫命一族から受け継がれたものだったのかもしれません🐉
三木町井戸の鍛冶池のほとり、出家後の静御前が暮らした庵とお墓があります
まず、鍛冶池の隣、次郎兵衛池にある「しずかの里」に行きました
というか、迷い込みました😆💦
ここは火葬場で、私の祖父母も荼毘にふすため訪れたことがあるのですが、山中の、とても静かな場所です
静かだから「しずかの里」かと思っていましたが、静御前に因んでいるのかもしれませんね💡
聞こえてくるのは鳥の声と風が竹を撫でる音だけ
「しずかの里」のある山は、香川県最古の前方後円墳「丸井古墳」(丸!)をはじめ、古墳だらけ
ストーンサークル風な広場がありました
火と水と月
白山が見えます
左へ進むと「しずかの里」
右へ進むと「静薬師」
道が細いので歩いて行きましたが、車でも大丈夫のようです
鍛冶池の堤防が見えてきました
「静薬師」
義経に愛された静御前は心惹かれる存在でしたが、遠い地で活躍されたイメージしかなく、まさかこんなに身近で暮らし亡くなっていたとは😳
この階段を歩かれたと思うと…感慨無量😫
『静藥師
鍛治池 のほとりにある薬師堂は静御前が源義経の菩提を弔った庵であると言い伝えられている。
境内には静御前の墓と呼ばれる石塔がある。
薬師堂の境内及び鍛治池の丘陵地や南側の山地には古墳が散在し、古代の歴史を物語る遺物が出土している。
鍛治池の北堤から北方を眺めると、白山付近の景観はすばらしい。
昭和五十八年三月 香川県』
白山付近の景観
嶽山も少し見えます
素敵な扁額
美しい16紋菊と水のような雲?
静御前が雨乞いのエキスパートであったことからイメージされたのでしょうか
水の湧き出る様のよう
隣には住居っぽい建物
お堂とつながっています
裏手に野仏
苔生していますが、大正時代で意外と新しい💦
お堂の北に静御前達のお墓が御座います
何百年も経った今もこうして大切に保存とお手入れがされていることに感激です
右から静御前、静御前と義経のお子、侍女琴路のお墓
侍女の琴路は静御前を追いかけて京都からこの地までやって来て、磯野禅尼についで静が亡くなると鍛冶池に身を投げて後を追います
侍女にこれほどまでに慕われた、静御前の人としての魅力…
一緒に神様もお祀りされています
最近気になりだした、大黒天こと大国主命
山幸彦こと火遠理命と別れた後、豊玉姫命は大国主命とともに国造りのため川を遡上し内陸部へ進んだ…という可能性
「大山住神神」
大山祇神は愛媛県でお祀りされているそうですが、"山"だけど水龍神様と関係が深いそう…
三木町はお不動様がよくいらっしゃいます
桜の古木
この地で静薬師が暮らしたのはわすが数年のことだったようですが、春にはこの桜の下で3人、お花見されたのかもしれません😌🌸
鍛冶池〜大窪寺の自然歩道案内板
蛇の抜け殻が!
蛇といえば弁財天、水龍神
縁起が良いと感じるか気持ち悪いと感じるかは、貴方次第😅
【長い尾の龍に愛された舞姫④狐】
静御前とその母磯禅師は三木町井戸に小さな庵を結び、そこから長尾寺へ通ったそうです
当時、母子が歩いていたであろう姿を思い描きながら、「和邇賀波神社」「磯野禅尼の墓」「鼓淵」と巡ってみました
「静薬師」から、静御前母子が長尾寺へ通ったと思われるルートをたどってみました
その前に、すぐ近くにある「からふろ」へ
祖父が遠路遥々自転車で通っていた、今でいうサウナです
日本で唯一ここだけ残っている、古代からの健康風呂😳
『空(から)風呂の由緒
この風呂は今からおよそ一三〇〇年の昔 (奈良時代)高僧行基が讃岐の国に来たとき、 もろ人の病気を治すために造ったといわれている。風呂の構造は幅ニメートル、奥行二、 七メートル、豊島石の石室で、石と石との間 は粘土で固めてある。一見、横穴式古墳の玄室さえ思わせるが、これは、から風呂として築造したものと思われる。
風呂は午前十時と午後二時の二回たくが、 その要領は先ず、松葉(小枝のついたまま) を石室の中でたき、次にぬれむしろとぬれご もを交互に重ねて、塩をまき、さらにその上にむしろを敷き、しばらく戸をしめ、むしておき、ひとえの着物に手ぬぐいをかむって入 室し、座布団の上に座って体を温めるもので 原理は近代サウナ風呂と一緒で、 中世ごろか ら私たちの先祖が、楽しんで来たといわれる 江戸時代には、高松藩士もよく使用したことで有名である。
効能
神経痛・リューマチ・婦人病(冷え症)など』
長尾寺を開創した行基が指導し、豊島(豊玉姫命の父、豊玉彦命の島)産の石で造った横穴式古墳の玄室!
からふろ凄すぎる✨
木曜日〜日曜日
12〜21時まで営業されているそうなので、ぜひ体験してみたいです
「静薬師」から北へ道なりに進むと
「和邇賀波神社」が御座います
道中、静御前達も参拝されたのでしょうか
「和邇賀波神社」の縁起では、豊玉姫命は鴨部川を遡上したということになっており、神社の東に鴨部川が流れています
途中、「金刀毘羅神社」がありました
三木町の辺りは金毘羅さんがたくさん御座います
長尾街道に出ました
鴨部川を渡って東へ行くと
「静御前母磯野禅師之墓」
『磯野禅尼の碑』
お墓っぽい石の裏に、当時のものと思われる石塔がありました
長尾寺前につながる、長尾街道の一本北の道を歩いて行くと「鼓淵」があります
静御前が母上とこの道を歩いていたと思うとワクワクします✨
俗世への未練を断ち切るため、義経の形見"初音の鼓"(唐から伝わり後白河法皇が平清盛に下賜。紫檀の胴に雌雄の三毛狐の皮を張り、金銀を散りばめた、音色の優れた鼓だった)を小川の淵に投げすてたという場所
明治の末期には子供が泳ぐことができる広さがあり、昭和の初期までは清水が湧き出る渕だったそうですが、今は住宅地の用水路となっています
『静 鼓 投げたる淵や 湧く清水』
用水路を南にたどると祠がありました
「地神社」、「金毘羅社」、「春日大明神」
工場の排水のせいか?、バスクリンみたいな色になってます💦
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