ひかみはちまんじんじゃ
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氷上八幡神社ではいただけません
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氷上八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年10月17日(火)
参拝:2023年9月吉日
【新川豊玉姫命レイライン⑪】
⛩️「氷上八幡神社」は"東の天空の鳥居"「龍王神社」の「嶽山」の東北東に位置するお社で、「丸岡八幡神社」という古称で親しまれています
"丸"といえば「和珥(三木町では和邇)氏」🐢🐊🐉を表しますが、嶽山周辺は古墳がたくさんあり、豊玉姫命が率いる古代海人族に関係していることがわかります
"岡"というように、丘陵部の杜の中にお社が建っていますが、長い長い参道の東側の更に小高い部分は古墳のようで、「池戸八幡神社」と配置が似ているなと思いました🤔
御朱印もいただけるようですが、この日は秋祭りの準備でご多忙の様子だったので、日を改めさせていただくことに😊
⛩️「氷上八幡神社」は"東の天空の鳥居"「龍王神社」の「嶽山」の東北東に位置するお社で、「丸岡八幡神社」という古称で親しまれています
"丸"といえば「和珥(三木町では和邇)氏」🐢🐊🐉を表しますが、嶽山周辺は古墳がたくさんあり、豊玉姫命が率いる古代海人族に関係していることがわかります
"岡"というように、丘陵部の杜の中にお社が建っていますが、長い長い参道の東側の更に小高い部分は古墳のようで、「池戸八幡神社」と配置が似ているなと思いました🤔
御朱印もいただけるようですが、この日は秋祭りの準備でご多忙の様子だったので、日を改めさせていただくことに😊
北側の鳥居
道路を更に進んでいくと駐車場があります
道路を更に進んでいくと駐車場があります
駐車場看板
駐車場は広いです
御旅所
御旅所の前に地神柱が2つ
一ノ鳥居
明日が秋祭りだそうで、幟が立ち、出店の準備をしていました
明日が秋祭りだそうで、幟が立ち、出店の準備をしていました
『丸岡八幡神社の由来
祭神は応神天皇で、天照大神と天児屋根命が併せ祀られて いる。後、大山祇命も併せ祀られる。極楽寺記によると承六年(皇暦一五九六) 八月、宝蔵院明海法印の勧請に始り、 同年九月別当千手寺を置いたという。万寿元年、寛治七年、 建仁三年、永仁五年、嘉暦二年、永亨十年と六度社殿を改築 している。天正十一年長曽我部元親に随神門が焼かれる。
仕え人が駆けつけて随神像を遷したが、既に火がまわり右座 の櫛磐間戸命の神像の背面が焦げていた。そのため氏子等は 「焼がれの門麻呂」などと言った(現在宝物として本殿に保管) その後、寛文十一年四月、政所(まんどころ=大庄屋) 山地与三 太夫ほか氷上郷の総氏子が社殿を再建した。その棟札に「木田 氷上郷氏八幡宮棟札 干時(かんじ=年月日) 寛文十一年辛玄 四月吉祥日 社家奉行間宮九郎左衛門、緒方伝兵衛遷宮執行当 社青井大夫本願政所(十名) 水上郷総氏子中残」と記されている。現在の建造物は明治三十三年三月の改築であり、神庫は大正十年の改築である。その後、随時社殿の小修理が行なわれたが昭和四十一年九月本殿の屋根を銅板葺に葺き替えた。昭和五十四年九月には随神門を改築し、鉄筋コンクリート造り銅板葺の近代的なものとなる。 昭和五十八年九月にお祓堂を新築した。 当社は古くから丸岡八幡宮と称せられ、三代物語に「丸岡八幡宮氷上一郷社祀之」と書かれている。明治四年五月十四日村社の資格になり、明治四十年十月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定せられた(三代物語、玉藻集、名勝図会、香川県史などの資料による) 例祭日 十月第一日曜日(古くから十月五日に行なわれていたが町村合併後、町村の主な神社と同じ日に改められる。境内坪数二千八百三十四郷 氏子区域三木町大字氷上、大字田中字池尻より字西吉谷字乃生、字西畑 大字小蓑字二の坂東部太田尾を連ねた線より東部で戸数九百戸余 (宮司)』
祭神は応神天皇で、天照大神と天児屋根命が併せ祀られて いる。後、大山祇命も併せ祀られる。極楽寺記によると承六年(皇暦一五九六) 八月、宝蔵院明海法印の勧請に始り、 同年九月別当千手寺を置いたという。万寿元年、寛治七年、 建仁三年、永仁五年、嘉暦二年、永亨十年と六度社殿を改築 している。天正十一年長曽我部元親に随神門が焼かれる。
仕え人が駆けつけて随神像を遷したが、既に火がまわり右座 の櫛磐間戸命の神像の背面が焦げていた。そのため氏子等は 「焼がれの門麻呂」などと言った(現在宝物として本殿に保管) その後、寛文十一年四月、政所(まんどころ=大庄屋) 山地与三 太夫ほか氷上郷の総氏子が社殿を再建した。その棟札に「木田 氷上郷氏八幡宮棟札 干時(かんじ=年月日) 寛文十一年辛玄 四月吉祥日 社家奉行間宮九郎左衛門、緒方伝兵衛遷宮執行当 社青井大夫本願政所(十名) 水上郷総氏子中残」と記されている。現在の建造物は明治三十三年三月の改築であり、神庫は大正十年の改築である。その後、随時社殿の小修理が行なわれたが昭和四十一年九月本殿の屋根を銅板葺に葺き替えた。昭和五十四年九月には随神門を改築し、鉄筋コンクリート造り銅板葺の近代的なものとなる。 昭和五十八年九月にお祓堂を新築した。 当社は古くから丸岡八幡宮と称せられ、三代物語に「丸岡八幡宮氷上一郷社祀之」と書かれている。明治四年五月十四日村社の資格になり、明治四十年十月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定せられた(三代物語、玉藻集、名勝図会、香川県史などの資料による) 例祭日 十月第一日曜日(古くから十月五日に行なわれていたが町村合併後、町村の主な神社と同じ日に改められる。境内坪数二千八百三十四郷 氏子区域三木町大字氷上、大字田中字池尻より字西吉谷字乃生、字西畑 大字小蓑字二の坂東部太田尾を連ねた線より東部で戸数九百戸余 (宮司)』
随神門
近代的な鉄筋コンクリート造り
近代的な鉄筋コンクリート造り
右座の櫛磐間戸命
戦国時代、長宗我部元親により随神門が焼かれ、背面が焦げた当時の像は宝物として本殿に保管されているそうです
戦国時代、長宗我部元親により随神門が焼かれ、背面が焦げた当時の像は宝物として本殿に保管されているそうです
随神門を振り返ったところ
狛犬くんも新しい注連縄でキリリ✨
何の動物だろう💦
御神木?
拝殿右側に忠魂碑
珍しい配置です
台座の岩がすごい😳
珍しい配置です
台座の岩がすごい😳
御本殿
鰹木2本で女神様か
鰹木2本で女神様か
これはなんだろう…
すてき
投稿者のプロフィール
いつき112投稿
香川県内中心に、寺社と土地の関係に注目しながら参拝しています/四国八十八ヶ所✱讃岐ピラミッドや磐座✱邪馬台国四国山上説推し✱豊玉姫命研究✱神社仏閣案内してくださる先輩に出会えるといいな(^^)
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