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【新川豊玉姫命レイライン⑪番外編・少彦名命との出会い】
少彦名命(少名毘古那命)は大国主命(大己貴命)の義兄弟として日本全国を周り、国造りに尽力された神様です
御神徳は医薬・酒・温泉等、豊富な知識で活躍されました
『古事記』では、天の羅摩船(かがみぶね)というガガイモの殻の船に乗り、海の彼方にある常世の国から光り輝きながら渡って来たとなっています
蛾の皮を着ていたというほど小さい神様で、一寸法師のモデルになったのではと言われています
大国主命と逸れて泣き叫んでいた少彦名命をお椀に乗せて川に流した、というのが、大水上大明神なのでした
"大水上"と"氷上"
半月程前に「大水上神社」に参拝していたこともあり、ご縁を感じた参拝となりました🙏✨
駐車場から歩いていくとまず御旅所と地神碑があります
地神碑は春は神々に対して五穀の豊饒を祈願し、秋には収穫を感謝するため神々を祭ったのが由来だそうです
五角柱の石の柱で、それぞれの面に天照大神、大己貴命、少彦名命、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、植安媛命(はにやすひめのみこと)等の神名が刻まれています
本殿寄りの地神碑
石垣が組まれ注連縄もしてあります
もう一つの地神碑
昭和45年建立
大国主命と少彦名命は隣同士なのですね😊
この木があるところが少し高くなっていて、この地点のポイントかなと思いました
参道を少し進むと左手に小高くなった杜があります
木々の根にしっかりと包まれている感じで、古墳のようです
祠が2つ見えます
ここ丸岡を拠点に権力のあった古代海人族のお墓、ということになります…
小さな祠が幾つか置かれていました
丘の上の森に囲まれ、南東に細長い古墳、参道の奥に宮司さんの住まいと御本殿、という配置は①の「池戸八幡神社」とよく似ているなぁと思いました
古墳の北に少彦名命がいらっしゃいます
「粟島神社」
少彦名命が生国へ帰る時、粟の穂に弾かれて飛んでいったという伝説から「粟島」
「淡島」と表記するお社も
淡路島にも繋がりそう…
『粟島大明神由来
安政の宮記録には、荒神三社と記されてある。その中の大きい祠が栗島大明神さまであり何時勧請されたかは明らかでない。祭神は、少名毘古那命である。この神は医の神で、大国主命とは兄弟神であり、昔の国づくりに力を尽くし、殊に婦人の病をよく癒されたと伝えられている。』
少彦名命の祠
小さい神様といえば"小子部(ちいさこべ)"
暫く通わせて頂いた「宮處八幡宮」に小さな低い鳥居の「小子部宿禰宮」が御座いました
また珍しい三柱鳥居があり、そこには蚕産(蛾)の神として「天之御中主」が祀られており、秦氏との関係が深いようでした
秦氏といえば農耕、土木技術、養蚕、酒造…と様々な技術で日本社会の発展に貢献された一族
通ずるものがあるなと思っていたら、少彦名命をお祀りして信仰していたのが秦氏のようです
荒神二柱
金木犀が芳香を放っていました
一ノ鳥居
金木犀は魔除けの力が強いとか
センサー感知式でいきなり結構な音がして流れだしたのでビビリました💦
香川県自然記念物に指定されている社叢
神社境内は女性器に例えられますが、細長い杜にぐるりと囲まれ、まさに子宮のようなお宮の配置
「天満宮」
手水舎横の坂道を下ると社務所があり、御朱印がいただけます
が、今回もご不在💦残念💦💦
すぐ近くに「嶽山」
気持ち良い秋晴れ
「東の天空の鳥居」のある山頂を無数の鳶?が旋回していました
エネルギーの渦に乗っているよう…
【新川豊玉姫命レイライン⑪】
⛩️「氷上八幡神社」は"東の天空の鳥居"「龍王神社」の「嶽山」の東北東に位置するお社で、「丸岡八幡神社」という古称で親しまれています
"丸"といえば「和珥(三木町では和邇)氏」🐢🐊🐉を表しますが、嶽山周辺は古墳がたくさんあり、豊玉姫命が率いる古代海人族に関係していることがわかります
"岡"というように、丘陵部の杜の中にお社が建っていますが、長い長い参道の東側の更に小高い部分は古墳のようで、「池戸八幡神社」と配置が似ているなと思いました🤔
御朱印もいただけるようですが、この日は秋祭りの準備でご多忙の様子だったので、日を改めさせていただくことに😊
北側の鳥居
道路を更に進んでいくと駐車場があります
駐車場看板
駐車場は広いです
御旅所
御旅所の前に地神柱が2つ
一ノ鳥居
明日が秋祭りだそうで、幟が立ち、出店の準備をしていました
『丸岡八幡神社の由来
祭神は応神天皇で、天照大神と天児屋根命が併せ祀られて いる。後、大山祇命も併せ祀られる。極楽寺記によると承六年(皇暦一五九六) 八月、宝蔵院明海法印の勧請に始り、 同年九月別当千手寺を置いたという。万寿元年、寛治七年、 建仁三年、永仁五年、嘉暦二年、永亨十年と六度社殿を改築 している。天正十一年長曽我部元親に随神門が焼かれる。
仕え人が駆けつけて随神像を遷したが、既に火がまわり右座 の櫛磐間戸命の神像の背面が焦げていた。そのため氏子等は 「焼がれの門麻呂」などと言った(現在宝物として本殿に保管) その後、寛文十一年四月、政所(まんどころ=大庄屋) 山地与三 太夫ほか氷上郷の総氏子が社殿を再建した。その棟札に「木田 氷上郷氏八幡宮棟札 干時(かんじ=年月日) 寛文十一年辛玄 四月吉祥日 社家奉行間宮九郎左衛門、緒方伝兵衛遷宮執行当 社青井大夫本願政所(十名) 水上郷総氏子中残」と記されている。現在の建造物は明治三十三年三月の改築であり、神庫は大正十年の改築である。その後、随時社殿の小修理が行なわれたが昭和四十一年九月本殿の屋根を銅板葺に葺き替えた。昭和五十四年九月には随神門を改築し、鉄筋コンクリート造り銅板葺の近代的なものとなる。 昭和五十八年九月にお祓堂を新築した。 当社は古くから丸岡八幡宮と称せられ、三代物語に「丸岡八幡宮氷上一郷社祀之」と書かれている。明治四年五月十四日村社の資格になり、明治四十年十月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定せられた(三代物語、玉藻集、名勝図会、香川県史などの資料による) 例祭日 十月第一日曜日(古くから十月五日に行なわれていたが町村合併後、町村の主な神社と同じ日に改められる。境内坪数二千八百三十四郷 氏子区域三木町大字氷上、大字田中字池尻より字西吉谷字乃生、字西畑 大字小蓑字二の坂東部太田尾を連ねた線より東部で戸数九百戸余 (宮司)』
随神門
近代的な鉄筋コンクリート造り
右座の櫛磐間戸命
戦国時代、長宗我部元親により随神門が焼かれ、背面が焦げた当時の像は宝物として本殿に保管されているそうです
随神門を振り返ったところ
狛犬くんも新しい注連縄でキリリ✨
何の動物だろう💦
御神木?
拝殿右側に忠魂碑
珍しい配置です
台座の岩がすごい😳
御本殿
鰹木2本で女神様か
これはなんだろう…
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