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いわせをはちまんぐう

石清尾八幡宮
公式香川県 栗林公園北口駅

参拝は24時間可能
お札・ご朱印授与:08:00〜17:00
ご祈祷受付  :08:00~15:45

御朱印について御朱印
あり

御本殿 石清尾八幡宮 500円 末社 蜂穴神社 500円 末社 道祖神社 500円 末社 髪授神祠…

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内入り口左側に30台ほど
下拝殿横に10台・奥に20台ほど

巡礼

その他の巡礼の情報

さぬき十五社(第5番)

石清尾八幡宮について

高松総鎮守として大勢の方に崇敬されています。
5月の市立祭や10月の秋季大祭には八幡通りが縁日で賑わい、神札授与所では限定の御朱印も授与しています。
皆様の御参拝をお待ちしております。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年09月18日(木) 20時07分21秒
3001投稿

高松といえば栗林公園。
その近くには Googleマップで見るだけでも 古墳が6つはあります。
大昔の権力者が眠る地 そりゃあ神社も立派なものがありますよ。
石清尾八幡神社は香川県高松市にある神社です。
登記上の正式名称は石清尾八幡神社です。
高松の氏神 高松総鎮守で 境内には香川県神社庁が所在しています。
だけど一宮ではありません。一宮は田村神社です。
大鳥居の前に延びる参道は 八幡通りと呼ばれ 500m以上真っすぐ伸びています。
隋神門手前には橋が架かり その下にはまるでお城の掘のように水が溜まっています。
ちょうどシロサギが舞い降りました。
隋神門をくぐると 下半身が瓦色の狛犬さんがいました。
鋳造なのかな?
進むとまた1対狛犬さんがいました。
100mほど進むと石段があり 拝殿があります。
これは下拝殿と呼ばれ さらに石段を上がると 上拝殿があります。
絵馬殿もあり こちらで涼ませていただきました。
この日もとても暑くて 境内を歩くだけで汗が噴き出ます。
一休みしてから下拝殿でご挨拶。
龍提灯と呼ばれる 龍の形をした提灯がありました。
拝殿の床を雲に見立て うねうねと龍がその体をくねらせている様子を再現していました。
続いて上拝殿でのご挨拶。
下拝殿の横には境内末社が4つ。
高良社:祭神は武内宿禰
御先社:祭神は天之宇受売命・猿田彦命
廣瀬龍田五社:祭神は級長津姫命・級長津比売命・若宇賀能売命・少彦名命・大年命
北口霊社:祭神は友安刑部霊・友安治部霊
石段を上がり本殿の横にも境内末社が2つ。
神明社:祭神は天照皇大神・住吉三神・藤原鎌足公 
若宮社:祭神は仁徳天皇
いやぁたくさん祀られています。
これだけまわるとまた汗が噴き出てきました。
社務所で御朱印をお願いし 下拝殿で涼ませていただきました。
さすがに高松総鎮守だけあって 見どころ満載でした。
境外末社もありますが 別投稿させていただきます。
道祖神社・蜂穴神社・髪授神祠です。

ネット情報です。
主祭神は足仲彦命・誉田別命・息長帯姫命です。
伝説による由緒は918年(延喜18年) 八幡大神が讃岐国香川郡野原庄(現・高松市)の赤塔山(現・石清尾山)に現れて これを祭ったものと伝えられている。
もう一つの由緒は 当時の国司が京都の石清水八幡宮の分霊を亀ノ尾山上に祭ったというものである。
社名も石清水と亀ノ尾の名を併せて石清尾八幡宮と称したとされる。
石清尾山には 多数の古墳からなる石清尾山古墳群があり この地域が早い時代から栄えていたことが窺える。
1309年(延慶2年) 大般若経と五部大乗経が納められる。
この大般若経は荘園の鎮守などに供えられるものであり 古くから石清尾八幡宮が野原荘の鎮守として崇敬されてきた証拠となるものである。
南北朝時代 室町幕府管領の細川頼之は細川清氏との合戦に臨み 石清尾八幡宮に臣下を派遣し 戦勝祈願を行う。
1363年4月 合戦に勝利した頼之は戦勝奉賛祭を行い 社殿の改築や武具の奉納などを行った。
この時に行われた市が頼之の呼び名「右馬頭(うまのかみ)」の名にちなみ 「右馬頭市」と呼ばれるようになる。
この右馬頭市は現在も続く祭事の一つ 市立祭(いちだてさい)の起源である。
1588年 豊臣政権下で讃岐国一国の領主となった生駒親正は野原の地を本拠と定め この地を高松と改称し 高松城(玉藻城)を築城するとともに 石清尾八幡宮を府城の鎮護として社領24石を寄進した。
水戸徳川家から高松藩主になった松平頼重は 1642年と1666年の二回にわたり 石清尾八幡宮の大造営を行う。
それまで山の上にあった社殿を今の場所に移したとも または現在の場所に既にあったので移動せずに工事を行ったとも言われ 二つの説がある。
その後頼重は当社を高松城下町の大社・氏神と定め 多数の宝物や放生会の規定 社領202石を寄進する。
現在の境内の姿と 絢爛豪華な御神輿行列は ほぼこの時代に完成する。

石清尾八幡宮(香川県)

大鳥居

石清尾八幡宮(香川県)

でかい狛犬さん

石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)

社号の石柱

石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)

掘にサギがいました

石清尾八幡宮(香川県)

隋神門

石清尾八幡宮(香川県)

門の内側にも狛犬さん

石清尾八幡宮(香川県)

下半身が瓦色 表情も変わってる

石清尾八幡宮(香川県)

由緒書

石清尾八幡宮(香川県)

さぬき十五社の石柱

石清尾八幡宮(香川県)

隋神門の扁額

石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)

石清尾八幡宮祭礼図巻

石清尾八幡宮(香川県)

手水舎

石清尾八幡宮(香川県)

またまた狛犬さん

石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)

石段の上に 下拝殿

石清尾八幡宮(香川県)

絵馬堂

石清尾八幡宮(香川県)

下拝殿

石清尾八幡宮(香川県)

拝所

石清尾八幡宮(香川県)

龍の提灯

石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)
石清尾八幡宮(香川県)

上拝殿

石清尾八幡宮(香川県)

社務所

石清尾八幡宮(香川県)

2つの拝殿を一緒に撮る

石清尾八幡宮(香川県)

境内社の鳥居

石清尾八幡宮(香川県)

境内末社 北口霊社

石清尾八幡宮(香川県)

境内末社 廣瀬龍田五社

石清尾八幡宮(香川県)

境内末社 御先社

石清尾八幡宮(香川県)

境内末社 高良社

石清尾八幡宮(香川県)

本殿の横にある末社

石清尾八幡宮(香川県)

また少し形が変わった狛犬さん

石清尾八幡宮(香川県)

みーんな表情が違いますね

石清尾八幡宮(香川県)

皇太子ご成婚記念碑 皇紀2619年

石清尾八幡宮(香川県)

境内末社 神明社

石清尾八幡宮(香川県)

境内末社 若宮社

石清尾八幡宮(香川県)

本殿横から

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歴史

平安時代、延喜18年(西暦918年)に八幡大神が石清尾山に現れ、これをお祀りしたと伝えられています。もう一つの説には、時の国司が京都の石清水八幡宮の御分霊を勧請し、祀ったとも言われています。

「石清尾」という社名は、社殿を造った場所が亀ノ尾山(亀命山)の山裾にあたり、石清水と亀ノ尾をひとつに併せて、「石清尾」となったと言われています。

南北朝時代、室町幕府管領の細川頼之は石清尾八幡宮を篤く信仰し、社殿の改築や武具を奉納し、神域を守る禁令を出し、手厚く保護をしました。
その後、高松を治めた生駒親正は高松城を造営し、城下町を整えるとともに、石清尾八幡宮を高松城の鎮護と崇め、社殿を改築し社領を寄進します。
江戸時代、高松藩主となった松平頼重も当宮を崇敬し、松平家の氏宮と定め、社殿を造営し、社領・宝物を寄進しました。
石清尾祭礼もこの時代に大きく変化し、高松中から人々が集まり絢爛豪華な神輿行列が行われる様になりました。
以後も歴代藩主は当宮を崇敬し、燈篭や宝物を寄進しました。

時代は代わり、昭和の初めには閑院宮、梨本宮、伏見宮殿下のご参拝を仰ぎ、国幣社への昇格を目前にするが、大東亜戦争終結の為に頓挫します。
平成30年(2018年)に「創祀1100年祭」が盛大に斎行され、今に至るまで多くの人々に高松の氏神、鎮守として広く崇敬されています。

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石清尾八幡宮の基本情報

住所

香川県高松市宮脇町1-30-3

行き方

JR栗林公園北口駅から徒歩12分
まちなかループバス「八幡前」から徒歩1分

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名称

石清尾八幡宮

読み方

いわせをはちまんぐう

通称

いわせおさん

参拝時間

参拝は24時間可能
お札・ご朱印授与:08:00〜17:00
ご祈祷受付  :08:00~15:45

参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレ手水の右側
御朱印あり

御本殿 石清尾八幡宮 500円
末社 蜂穴神社 500円
末社 道祖神社 500円
末社 髪授神祠 500円、1,000円

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号087-862-5846
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスhachiman@iwaseo.com
ホームページhttps://iwaseo.com
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巡礼の詳細情報

さぬき十五社

第5番

仏さま:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

詳細情報

ご祭神《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后
ご神体

石清尾山

創建時代

延喜十八年(918)

本殿

三間社流造

ご由緒

平安時代、延喜18年(西暦918年)に八幡大神が石清尾山に現れ、これをお祀りしたと伝えられています。もう一つの説には、時の国司が京都の石清水八幡宮の御分霊を勧請し、祀ったとも言われています。

「石清尾」という社名は、社殿を造った場所が亀ノ尾山(亀命山)の山裾にあたり、石清水と亀ノ尾をひとつに併せて、「石清尾」となったと言われています。

南北朝時代、室町幕府管領の細川頼之は石清尾八幡宮を篤く信仰し、社殿の改築や武具を奉納し、神域を守る禁令を出し、手厚く保護をしました。
その後、高松を治めた生駒親正は高松城を造営し、城下町を整えるとともに、石清尾八幡宮を高松城の鎮護と崇め、社殿を改築し社領を寄進します。
江戸時代、高松藩主となった松平頼重も当宮を崇敬し、松平家の氏宮と定め、社殿を造営し、社領・宝物を寄進しました。
石清尾祭礼もこの時代に大きく変化し、高松中から人々が集まり絢爛豪華な神輿行列が行われる様になりました。
以後も歴代藩主は当宮を崇敬し、燈篭や宝物を寄進しました。

時代は代わり、昭和の初めには閑院宮、梨本宮、伏見宮殿下のご参拝を仰ぎ、国幣社への昇格を目前にするが、大東亜戦争終結の為に頓挫します。
平成30年(2018年)に「創祀1100年祭」が盛大に斎行され、今に至るまで多くの人々に高松の氏神、鎮守として広く崇敬されています。

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