ふりがな
はいしじんじゃ
ご由緒
祭祀及び美術工芸を司っていた天火明命の子孫である拝師族の氏神。古くは「皇子権現」、「拝師大権現」等と奉称せられていた。永享2年(1430)に上林城主岡因幡守重輯(おかいなばのかみしげしゅう)が造営修理。その子孫の岡藤左衛門は弓の名人で豊太閤の朝鮮征伐に従って戦功があり、その時かの地にあった神像を持って帰ってこの社に納めた。これが当社の神像であるが、今は所在不明。大正3年(1914)宝蔵建築に際し、境内より奈良時代(710〜784)の古瓦を出土。
(「三宮神社略記」参考)